The Magazine of Artという雑誌は1878年創刊で1904年まで続きましたが、1881〜1886年に詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley: 1849〜1903)が編集長として担当した時期に変貌を遂げ、中産階級の美的センスに多大な影響を与えたと評されています。それは美術分野だけでなく、詩、散文、批評、考古学、民俗学なども含め、定期的な執筆者にはヘンリーの友人であったロバート・ルイス・スティーブンソンもいます。ラングも頻繁に寄稿しています。
ラングの新聞雑誌掲載の文章は追跡不可能なほど多いのですが、1882年頃からのもので、The Magazine of Art掲載のものは追跡できました。インターネット・アーカイブがトロント大学所蔵のものを掲載してくれています。
The Magazine of Artという雑誌は1878年創刊で1904年まで続きましたが、1881〜1886年に詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley: 1849〜1903)が編集長として担当した時期に変貌を遂げ、中産階級の美的センスに多大な影響を与えたと評されています(注1)。それは美術分野だけでなく、詩、散文、批評、考古学、民俗学なども含め、定期的な執筆者にはヘンリーの友人であったロバート・ルイス・スティーブンソンもいます。ラングも頻繁に寄稿しています。
ヘンリーについて、彼の詩「インビクタス」(Invictus, 1875)がネルソン・マンデラの伝記映画の題名(2009, (注2))になり、マンデラが獄中で心の拠り所にした詩とされています。ヘンリーの略歴については、「ヴィクトリアン・ウェブ」掲載の論文(Dr. Andrzej Kiniejko, (注3))から抄訳します。ヘンリーは12歳で骨結核と診断されて、十代で片足をなくし、病院での長い闘病生活中に文芸誌に詩を投稿して認められます。1875年、26歳の時に入院中の彼をR.L.スティーブンソンが訪れたことから二人の友情が始まり、スティーブンソンの『宝島』(1883)の片足のジョン・シルバーはヘンリーをモデルにしたということです。ヘンリーはまた、編集者としての才能にも恵まれ、The Magazine of Artを含め、4種類の雑誌の編集をしました。
以下に1882〜1886年発行のThe Magazine of Artに掲載されているラングおよびその他、私が注目した記事を紹介します。尚、1881年刊はデジタル化されていないようです。この雑誌は月刊誌だったようですが、前年11月号から翌年10月号までを1冊にまとめたものがデジタル化されているため、それぞれの記事が何月号掲載だったか、はっきりわかりません。
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー編集のThe Magazine of Art
- 1882年:The Magazine of Art, vol.5(注4)
- Andrew Lang, 「未開人の芸術I—装飾美術」(“The Art of Savages.—I. Decorative Art”, pp.246—251)
- Andrew Lang, 「未開人の芸術II—描写」(“The Art of Savages.—II. Representation”, pp.303〜307)
- Andrew Lang, 「テームズ川とその詩情」(“The Thames and Its Poetry”, pp.377〜383)
- 1883年: The Magazine of Art, vol.6(注5)
- Robert Louis Stevenson, 「挿絵の横道—日本の二つの小説」(” Byways of Book Illustration. Two Japanese Romances”, pp.8-15) 英訳された「忠臣蔵」の挿絵にそってスティーブンソンがストーリーの説明と、彼の感想が7ページにわたって書かれていて、とても興味深いので、後に翻訳紹介します。
- William Ernest Henley, 「子ども部屋の美術」(”Art in the Nursery, pp.127〜132) 執筆者名がないので、編者のヘンリーだと推測します。彼が執筆する時はイニシャルだけのW.E.Hか無署名のようです。この時代は子どもの本の黄金期で、挿絵画家としても才能豊かな人々が活躍した時代です。これも掲載されている絵と共に、後に抄訳したいと思います。
- William Ernest Henley,「日本の伝説」(”A Legend of Japan”, pp.256〜262) 無署名なのでヘンリーの記事だと推測します。滝沢馬琴(1767〜1848)の「八丈奇談」の紹介です。
- 1884年:The Magazine of Art, vol.7(注6)
- W.E.H.,「日本の絵」(”Pictures of Japan”, pp.199〜206) ヘンリーの記事で、北斎ほかの絵は1883年刊のフランスの『日本の美術』(L’Art Japonais)からと注があります。
- Andrew Lang, “Elzevirs” (pp.287〜291)
- Andrew Langの詩がp.375に掲載されています。
- 1885年:The Magazine of Art, vol.8(注7)
- Andrew Lang,「日本の妖怪」(”Some Japanese Bogies, pp.15〜
ラングが紹介している「日本の妖怪」は後に紹介します。 - William Ernest Henley,「現代美術」(Current Art.—II, pp.387〜394)これも無署名ですが、毎号このコラムで最近の美術の紹介がされているので、ヘンリーの記事だと推測します。この号では特にラングの肖像画を掲載し、ラングの気質がよく現れた肖像画だと絶賛しています。
- 1886年:The Magazine of Art, vol.9(注8)
- Andrew Lang, 「ディオニュソスの航海」(”Dioysus’ Sea-faring, pp.368〜370)
- Andrew Lang,「幽霊の歌」(Ballade of a Choice of Ghosts, p.72)様々な幽霊の絵にラングの詩がつけられています。
ラングの肖像画
1885年のThe Magazine of Art掲載の「現代美術」コラムにこの年の肖像画展について評価が書かれているので、ラングの肖像画についてどう書かれているか訳します。画家はW.B.リッチモンド(W.B. Richmond: 1842〜1921)です。
リッチモンド氏はグロブナー[ギャラリー]で個展を開き、8つの肖像画を展示した。そのうちの最高のものは、去年の際立った成功作に匹敵する。中でも、「アンドリュー・ラング」と「ロイド・リンゼイ夫人」はこの画家の作品の中でも第一級のものであり、今年の肖像画の中でも高い位置を占める。ここに掲載するラング氏の肖像画は氏の性格を説得力をもって描いた点で素晴らしい。いい意味で、氏のユーモアとやさしい諧謔精神が垣間見える。その個性の強さは抜きん出ている。これらがたぐいまれで繊細な洞察力で、そして被写体の特性を全くさり気なく思いやりをもって描かれている。それは気持ちよいタッチ(happy touch)で、けだるそうで優雅なフォーム、右腕のなげやりに、だらりと下げられた形や、特徴的なポーズや、首の向きなどに表されている。(中略)
この肖像画に知的啓示があるというだけで満足いくものである。考え込み、物思いに沈んだような顔には惹きつけるものがあり、たとえ瞬間的だとしても、この特徴的な真実を画家が本能的に捉えた表情なのである。同じ的確な理解が表されているのが[被写体の]ポーズと構成で、それは賛嘆すべき描写法で、繊細でいくぶん気難しい洗練さを表している。この質を表すのに、過度の強調もなく、間違ったり、不快だったりするタッチもない。この絵のやさしく、ちょっと陰鬱な感じが作品全体に影響し、[被写体の]特別な質を示している。この質は[われわれを]魅惑するが、アグレッシブではなく、納得させ、惹きつける。これらは、センセーショナルなトリックや効果を狙うやかましい訴えかけなどとは天と地ほどかけ離れている。
いったい肖像画の評価なのか、ラングの人となりの評価なのかわからないほど、肖像画とラングその人が渾然一体となっていると絶賛しているようです。この肖像画を含めた個展がグロブナーで開催されたと最初に書かれていますが、グロブナー・ギャラリー(Grosvenor Gallery)というのは、1877年にC. リンゼイ(Coutts Lindsay: 1824〜1913)夫妻によって設立されました。リンゼイ夫人がロスチャイルド家の出身なので、資金が潤沢で豪華な美術館だと評されています。この美術館は、ラファエロ前派など、保守系のローヤル・アカデミーから歓迎されなかった画家たちに提供され、唯美主義運動の中心的役割を果たしたといいます(注9)。
リッチモンド(William Blake Richmond : 1842〜1921)作の肖像画に描かれたラングは41歳でした。これは油絵ですが、The Magazine of Art掲載のものは白黒です。現在、スコットランド国立美術館(注10)が所蔵しており、ネット上で見られるので、アクセスしてみてください。評価文の通りの繊細で複雑な表情で、白黒のと印象がかなり違います。
出典について
このサイトで紹介する19世紀から20世紀初頭にかけての原典はできる限り、インターネット・アーカイブ掲載のものにしています。21世紀の今、古い文献を研究する人にとって、インターネット・アーカイブの重要性はとても大きいと痛感しています。インターネット・アーカイブはアメリカを本拠地として1996年に設立され、「インターネット・ライブラリー」を目指すNPOだとホームページに解説されています(注11)。このインターネット・ライブラリーの存在を知る前は、プロジェクト・グーテンベルグに頼っていましたが、大きな違いはインターネット・アーカイブは本全体をそのままデジタル化しているため、その本を手にすることはできなくとも、雰囲気は伝わりますし、他のデジタル・ライブラリーと違って、写し間違えがないことです。テキストを読むだけなら他のデジタル・ライブラリーでもいいと思われるでしょうが、ラング関係で2種類のデジタル・ライブラリーを照合していて気付いたことは、読みやすさのために、原典の活字を移し替える際に、間違えが起こることでした。結局インターネット・アーカイブ掲載の原典にあたって確認する二重手間になりました。注に出すのは、画面をスクロールして読める最初のページです。そのページからpdfも手に入れることはできますが、pdfの鮮明度は落ちてしまいます。
インターネット・アーカイブが研究者にとって便利だとは思いますが、本物の紙製の本の魅力にはかないません。それを実感したのは、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の1912年版を国会図書館で閲覧した時でした。当然、マイクロフィルム化されていると思って閲覧申請したところ、出てきたのは本物でした。今まで誰も見ていなかったのか、包装紙に包まれた状態で、恐る恐る紐をほどき、開けると、革の背表紙がパラパラとはげ落ちるほど古いということを実感しましたし、新聞の紙をそっとめくりながら、これをラングが触ったわけではなくとも、同じ時代の物だという皮膚を通しての感触は震えるほどの感激でした。パソコンのスクリーンを通しては経験できない肉体の経験だと痛感しました。本や雑誌新聞の紙媒体が少なくなる昨今、製本技術や装丁、飾り文字など、これらの古い本の美しさを含めて、失われていくのだとしたら、肉体の感覚も失われていくのだろうと思います。
注
注1 | Liela Rumbaugh Greiman, “William Ernest Henley & The Magazine of Art”, Victorian Periodicals Review, Vol.16, No.2 (Summer, 1983), pp.53-64. http://www.jstor.org/stable/20082073?seq=1#page_scan_tab_contents |
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注2 | この映画の抜粋がワーナーブラザースのサイトから視聴できます。 http://wwws.warnerbros.co.jp/invictus/ (上記サイトを開くと同時に音楽が流れます。閲覧時にはご注意ください) |
注3 | Dr Andrzej Kiniejko, “William Ernest Henley: A Biographical Sketch”, The Victorian Web. http://www.victorianweb.org/authors/henley/introduction.html |
注4 | The Magazine of Art, vol.5, 1882.インターネット・アーカイブの以下のページで雑誌全体を見ることができますし、pdfもダウンロードできますが、ページ上で見る方が鮮明です。本サイトに掲載したのは、pdfからなので、多少ぼやけてしまいます。 https://archive.org/details/magazineofart05londuoft |
注5 | The Magazine of Art, vol.6, 1883 https://archive.org/details/magazineofart06londuoft |
注6 | The Magazine of Art, vol.7, 1884 https://archive.org/details/magazineofart07londuoft |
注7 | The Magazine of Art, vol.8, 1885 https://archive.org/details/magazineofart08londuoft |
注8 | The Magazine of Art, vol.9 1886 https://archive.org/details/magazineofart09londuoft |
注9 | George P. Landow, “The Grosvenor Gallery and the Aesthetic Movement” http://www.victorianweb.org/decadence/grosvenor.html |
注10 | National Galleries of Scotland, “Andrew Lang, 1844-1912. Poet and writer-Sir William Blake Richmond” https://www.nationalgalleries.org/collection/artists-a-z/r/artist/sir-william-blake-richmond/object/andrew-lang-1844-1912-poet-and-writer-pg-1206 |
注11 | ”About the Internet Archive”, Internet Archive, http://archive.org/about/ |