有吉佐和子が『複合汚染』で農薬は化学兵器の平和利用だと批判してから44年後の今、ベトナム戦争の枯葉剤が日本全国に埋設され、豪雨と地震が頻発する現在の日本で、ダイオキシンが漏出する可能性が指摘されています。
「複合汚染」(1974-75)時代より悪化している日本の汚染状況
1974年10月〜1975年6月まで『朝日新聞』に連載された小説家・有吉佐和子(1931-1984)の「複合汚染」を読み直し、44年前に彼女が指摘した多くの農薬や食品添加物等による複合汚染(2種類以上の毒性物質の相乗効果)が2018年現在も継続していることに衝撃を受けます。1960年代後半にアメリカ全土で禁止されたDDTは「アメリカの真似ならなんでもする愛すべき日本国では、アメリカ全土が規制して一年後に全面禁止になった」((注1), p.109)と述べていますが、DDTの健康被害が現在でも続いていることを『ネイチャー』の記事「自閉症とDDT:100万の妊娠が示せる/示せないこと」(2018年8月16日、(注2))が指摘しています。フィンランドの100万人の妊婦の血液中のDDT残留濃度を調べた結果、濃度が高い人が生んだ子どもに知的障害のある自閉症の率が高かったという結果が『アメリカ精神医学雑誌』に発表されました。DDTは多くの国で数十年前から禁止されていますが、土壌と水に何十年も残り、植物に蓄積されて、それを食べた動物の体内にも蓄積されるそうです。
有吉は農林省や厚生省への批判を以下のように記していますが、現在にも当てはまります。
医者や生物学の専門家たちが、AF2[豆腐や魚肉ソーセージの防腐剤として使用された]の強い毒性を指摘したとき、その安全が百パーセント立証できるまでは使用停止にするのが、厚生省の本来あるべき行政指導というものではなかっただろうか。疑わしきは罰せずというのは人間に対する法律であって、食品に関しては疑わしきはただちにストップをかけるべきではないか。(p.68)
この当時の食品添加物は336種類とのことですが、2018年7月3日改正の「指定添加物」は455種類です(注3)。「複合汚染」では日本が「公害大国」と言われていた時代に、国際会議に出席した日本人研究者が海外の研究者から「日本では動物実験の必要がない」と言われるほど、人体実験が盛んな国だと評価されていたとデータで示しています。1970年代初頭に「国際科学連合の環境問題委員会」が全世界の科学者に呼びかけて5種類の汚染毒物(水銀・カドミウム・鉛・DDT・PCB)の調査を促しました。「このうち三つの物質が、日本では大量な人命を損なう公害事件を惹き起こしている。水銀の水俣病(それも二カ所)、カドミウムのイタイイタイ病、PCBはカネミ油事件」(p.127)と指摘されているPCBは、現在ペットボトル飲料・洗顔料・化粧品・練り歯磨き等に含まれるマイクロプラスチックに吸収されていて、それが海に流れ、魚経由で人間の体内に入ってくることが問題になっています(注4)。そして、海洋を漂うプラスチックゴミは日本発のものだという批判記事が最近出ました(注5)。家庭ゴミのプラスチックはリサイクルできず、中国に送っていたが、中国が厳しくなってからマレーシアに送り始めていること、結果として海に放棄されるプラスチックゴミは日本由来だという指摘です。安倍首相がG7の「海洋プラスチック憲章」に署名しなかったこと(注6)と関係あるのでしょうか。
カドミウムのイタイイタイ病の解明が公害認定から50年後の2018年5月に公開されました(注7)。富山大学の研究グループがイタイイタイ病で亡くなった36人の解剖資料を分析した結果、腎臓は6割縮小し、「水分調節や造血ホルモン分泌の機能を持つ部位が大きく損傷していた」ことがわかったそうです。また、カドミウム汚染の富山県の農地の土壌入れ替えが1979年に始まり、2012年に全地域でコメの作付けが可能になる農地復元事業が終わったとのことです(注8)。農林水産省の「コメのカドミウム濃度に基づく流通規制の歴史」(注9)によると、1970(昭和45)年に玄米中にカドミウム1ppm(1mg/kg)を超えてはならない、2010(平成22)年に玄米・精米に0.4ppm超えてはならないと改正されました。0.4mg/kg以上1mg/kg未満のカドミウム含有コメは食糧庁が2011年まで買い上げ、非食用(合板用のり等)として処理されたと書かれています。一方で、2008年に工業用として売却していた方針を止め、政府保有のカドミウム在庫米6千トンも含め、焼却処分にすると当時の石破茂農水相が発表しましたが(注10)、工業用の汚染コメが食用に転売された事件が起きた頃です。その後2010年に基準値を超すカドミウムが兵庫県ですでに消費された給食から検出されたというニュースもあります(注11)。
化学兵器の平和利用としての農薬
DDTをはじめとする農薬が第二次世界大戦中に使用された化学兵器で、戦後「平和目的」で農薬として大量に使われ始め、「軍需産業で急速に成長した大企業は、こうして大変結構な平和産業に切りかえられた」(p.105)と有吉は指摘し、除草剤2,4-D[2,4-ジクロロフェノキシ酢酸]と2,4,5-T[2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸]を紹介しています。ベトナム戦争でアメリカ軍がこの2種類を成分とした枯葉剤を散布し、「ジャングルの繁みを取り払い、作戦を有利に展開し、またベトコンの食糧資源を破壊するために」枯葉作戦と呼ばれる作戦を展開し、「子供を殺し、妊婦を流産させたあと、土や水にしみこんでベトナム人の健康をいつまでも脅かした。先天異常児の出生がふえたという報告がある。245Tの催奇性(つまり生れる子供に異常が出る可能性)が問題になり、国際世論が枯葉作戦を非難して」(p.187)、1970年にアメリカは散布を中止すると声明を出します。2,4-Dも「催奇性が動物実験で立証されているにもかかわらず」日本で除草剤として使われ続け、245Tを日本で生産し、ミカンの肥大促進剤として使っていると指摘しています。2018年現在、2,4-Dは「経済的で効果に優れた水稲用後期除草剤」(日産化学、(注12))などという宣伝文句で広く使われ、その上、政府は2018年5月に食品中の2,4-D残留規制値を緩和する決定をしています。小麦などは現行の5倍の危険度になります(注13)。
日本で製造され、ベトナム戦争で使われた枯葉剤が日本中に埋設されている
この枯葉剤兵器の成分2,4,5-Tが現在日本中に埋設され、漏出の危険性が高まっているという報道があります(2017年11月27日、2018年8月23日、(注14))。1960年代後半に林野庁が国有林に除草剤として散布していましたが、「奇形を生じさせる強い毒性がある」ダイオキシンが含まれ、「海外で問題になったため、71年4月に使用中止を決定(中略)、11月に地中に埋設するように全国の営林署に指示した」と報道され、全国の埋設場所と量が記されています。埋設方法は液体状と固形状で、総量的にはセメントで固めた固形状が多いですが、撤去済みを除いても、北海道6市町・青森1村・岩手6町村・福島1町・群馬2町村・愛知1町・岐阜2町・広島1町・愛媛3町村・高知4町村・佐賀1町・熊本3市町・大分1市・宮崎6市町8カ所・鹿児島5市町6カ所と全国に広がっています。総量は液状1835.5リットル、固形状24,982kgというので、豪雨・地震・土砂崩れなどで日本全国に大変な被害をもたらすと予想できます。
この記事の中で紹介されている北九州市立大学の原田和明氏の研究で、2,4,5-Tは日本でも製造され、アメリカが使用を中止したために、在庫を国有林に埋めたのだろうと分析しています。原田氏の『真相 日本の枯葉剤』(2013, 五月書房)は絶版で読めませんが、調査内容はメルマガ(「枯葉剤機密カルテル」2005.5〜2005.10)で配信されています。この調査を道しるべとして、当時の国会で議論されたことを時系列で追ってみます。
日本で製造していた枯葉剤
1967年〜1970年
- 1967年4月にアメリカのメディアが「米軍が米国内での生産能力の4倍に当たる大量の245Tを発注した」と報道(注15)。
- 三井東圧化学が「外国からの引き合いで」大牟田工業所で1967年10月から塩素系除草剤245Tの中間製品245TCPを月産55トン生産し始め、1969年から245Tも月産15トン製造した(注16)。
- 1968年7月12日付『朝日新聞』が枯葉剤製造疑惑と作業員の皮膚疾患を報道(注17)。
- 三井東圧化学大牟田工業所で1968年に爆発事故があった;1968年1月〜7月までに約30人の被災者が皮膚炎・肝臓障害・白血球異常などを起こし、被害者が続出していると、1969年7月23日開催の衆議院外務委員会で楢崎弥之助(社会党)が指摘(注15)。
- 三井東圧化学副社長・平井威が記者会見をし、日本経済新聞(1969年7月25日)によると、「大牟田工場で245TCP生産の際に23人が皮膚炎にかかったのは、製造開始時の運転不慣れにより、多量に、または繰り返し245TCPに触れたためで、その後防護具の使用と排気装置の設置で解消した」と述べた。245Tの中間製品245TCPはパルプの防カビ剤として1割、245T原料として自家消費1割(石原産業、日産化学を通じて外販)、残り8割は英国・ニュージーランド・フランス・シンガポール・オーストラリア・米国の順で輸出(注16)。
- ニュージーランドに輸出された245TCPは加工されて枯葉剤として第三国を経由して南ベトナムに輸出された可能性が、ニュージーランドのイワンワトキンス・ダウ社(現ダウ・アグロサイエンス社)の元幹部の証言(2000年)により判明。ニュージーランドはアメリカ・英国・オーストラリア・カナダと化学兵器開発協定を結んでいた(注18)。
- イワンワトキンス・ダウ社の従業員は枯葉剤の有害性を知らされず、がんが多発し、国平均の2〜3倍の罹患率だった。枯葉作戦中止後に余った枯葉剤は245T除草剤として再利用され、数千トンの化学製品は工場近くに埋設した(注19)。
日本の山林に散布された枯葉剤
- 1970年4月15日:アメリカ農務・内務・厚生教育省は245Tを湖・池・人家付近・農作物には使用禁止、森林は厳重な規制をすると声明を出した。その理由はダイオキシンが入っているからだが、日本の林野庁は245Tにダイオキシンは入ってないという。245Tは催奇形性だから劇毒物扱いだと、川俣健二郎(社会党)が1970年10月9日開催の衆議院社会労働委員会で指摘(注20)。
- 1970年5月:林野庁が国有林に245Tを総量91トン散布していた;枯葉剤のもう一つの成分24Dも青森・秋田・岩手・山形の山林に合計370トン散布していた事実が、北海道大学医学部の調査を報道した『北海タイムス』(1970年5月)によって明るみに出た。林野庁はニホンザルとカモシカの生息域周辺でも散布した。秋田県玉川村では散布の三日後に口から泡をふいて死んでいるカモシカが発見され、青森県下北半島では猿の奇形児も発見され、枯葉剤で餌を失ったニホンザルが南下を始めていることも確認された。四国で日本カワウソの情報が途絶えたのも245Tが大量散布されていた1970年前後(注21)。
- 1970年7月10日:衆議院農林水産委員会で、津川武一(共産党)が以下の指摘をした(注22)。枯葉剤成分2,4-Dが宮城県・青森県・岩手県の山林2,620ヘクタールに370トン空中散布され、山菜や杉が枯れてしまった。宮城県の花山村長が営林署を尋ね、慎重にして欲しいと要請し、営林署が約束したのに、村に戻ったら既に散布されていた。
- 松本守雄林野庁長官は、2,4-Dは「劇物に指定されていない」「毒性は食塩よりも低い」、「245Tその他、十分影響はない」と答弁。
- 1970年10月9日:衆議院社会労働委員会で川俣健二郎(社会党)が以下の指摘をした(注20)。国の基本姿勢が治山治水と総理大臣[佐藤栄作]が言ったにもかかわらず、林野庁は1962年頃から合理化・省力化と称して大量の除草剤を散布し、アメリカが中止した枯葉剤24D, 245Tの混合剤を全国に散布し始めた。わが国の林野を自然破壊している。
- 245Tに引火性・助燃性があるから、山火事の危険性がある。1960-61年から1967-68年まで、火傷・皮膚炎・眼炎・急性中毒約40人が公害災害認定を受けた。245Tの製造元・三井東圧化学大牟田工業所の労働者1/3が中毒症状で、いまだに治りきっていない。
- 社団法人林業薬剤協会の片山正英・元林野庁長官によるパンフレットが、助燃性については注意しているが、245Tは毒物ではないと虚偽を書いている。合理化・省力化のために薬剤を使えと主張し、来年参議院全国区に出る片山氏が[自分の]写真入りのパンフレットを全国の営林署に送っているのは問題。
- 245T散布の反対署名運動が起こり、秋田県では田沢湖町議会が超党派で反対決議をし、秋田県知事が営林局長に取りやめる請願を出している。このような状況の中で、10月の薬剤散布を強行するのか。
- 松本守雄林野庁長官の答弁:注意さえ守れば危険性はない。国有林で使っている245Tはベトナムの枯葉作戦に使われたものと同じだが、全然問題にならないほど薄い。署名や各町村議会の否決の状況も聞いているが、秋田県知事は実施についての慎重な配慮要請で、中止してくれということではない。林野庁は公害の点で大丈夫という場合には実施する。
枯葉剤の埋設
- 1971年:2,4,5-T除草剤の催奇形性が問題になり、林野庁は使用を中止して、倉庫に厳重保管するよう指示した。同年11月にセメントと練り合わせコンクリート塊にして水源や民家から離れたところに埋没処理するよう通知した。1971年にダイオキシンを含んだ除草剤が埋められていたことが1984年にマスコミを通じて明らかにされ、1984年5月17日衆議院農林水産委員会で田中恒利(社会党)が以下を林野庁長官に問いただした(注23)。愛媛県北宇和郡津島町の国有林、八面山の八合目あたりに埋められ、下に部落と川があるから、原液は確実に土壌を通して下に流れている。2キロほど下にはこの地方の飲料水を供給するダムがある。営林署・営林局・林野庁は山を守らなければいけないのに、山を破壊している。ダイオキシンがベトナムの枯葉作戦などで非常に怖いものだという印象があるから、現地では大変な混乱状態になっている。津島町は住民の健康診断をやり、水質調査をしようとしている。
- 1983年8月:全林野労組四国地方本部が当局に埋設物の追跡調査を要求した。
- 1984年4月:当局は埋設処分に問題がないと回答。全林野労組四国地方本部は独自の調査をダイオキシン問題に詳しい愛媛大学農学部教授・立川涼に依頼した。
- 1984年5月:同学部助教授・脇本忠明らが宇和島市郊外の山林に同行し、245Tの流出を確認した。
このほか、1982年に国会で問題視されたのは、2,4,5-Tではありませんが、NACという除虫剤を松くい虫防除という名目で全国の森林で空中散布していることでした。背景に、林野庁と農薬企業の癒着があり、効果がないだけでなく、自然界と人体に危険な農薬の空中散布のために莫大な税金を投入し続けていることを小川国彦(社会党)議員が追求しました(注24)。林業関係者と推測される匿名氏が新聞に投稿して、空中散布は全く効果がないと告発しており、また、現場である各自治体は伐倒駆除に力を入れていると以下のように指摘しています。
被害の大きかった茨城県はこの5年間に農薬散布は13億3300万、伐倒駆除は27億800万、愛知県は農薬散布4億200万、伐倒駆除が18億4500万、鳥取県は農薬散布6億8500万、伐倒駆除18億7700万。第一線で苦労している都道府県の実感は伐倒駆除が一番根本的な対策だということが予算に表れている。
地方自治体の負担は国の倍近い。茨城県では国費が17億5200万に対し県費は27億4400万、愛知は国費5億2900万、県費17億1800万、鳥取は国費8億4500万、県費17億1700万。本来なら国が7割補助するのが一般の農林水産行政だが、国は二分の一か三分の一しか負担していない。この状況ですら、自治体が伐倒駆除に力を入れているのは、伐倒駆除が根元を断つ方法だからだ。国も伐倒駆除に今後7割、8割、最終的には9割力を注いで、農薬を空中・地上から散布するのを減らすべき。
秋山智英林野庁長官はあくまでも空中散布を続行すると主張します。小川議員は「農薬会社や農薬団体、航空団体に林野庁の幹部が大勢天下りしている事実」を氏名を挙げて指摘します。社団法人林業薬剤協会の重要ポストは林野庁からの天下り、この協会が農薬会社を選定し、その農薬会社にも林野庁から大勢天下っている結果、農薬散布量は1977年262トン、78年337トン、79年456トン、1980年538トンと、NACという農薬が4年間で2.1倍も増えている。NACは井筒屋化学産業という会社製で、この会社に林野庁から大勢天下っている。さらに、散布のためのヘリコプターの配分を仕切っている社団法人農林水産航空協会には農林省から大勢天下り、単年で17億円の散布費用のうち、3%を会費として要求しているので、5年間で航空費70億円のうち2.1億円を経費、つまり役員手当や退職金などに充てているのだと推測できます。小川議員はまずこの会費2.1億円を節約するために、林野庁1万人の職員が運行調整ぐらいできるだろうと提案しますが、林野庁はできないの一点張りです。結局、5年間の国費274億円のうち、238億円を効果のないヘリ防除に費やしたという指摘です。
枯葉剤・サリン・VXガスなどが沖縄の米軍基地で貯蔵されていた
枯葉剤の国内生産とその被害が国会で問題にされた1969年7月に、枯れ葉剤、サリン、VXガス(2017年2月に金正男暗殺に使われた猛毒ガス)、びらん性毒ガスのルイサイト(lewisite)などが沖縄の米軍嘉手納基地近くの知花弾薬庫に保管されていたこと、それが7月8日に漏出し、アメリカ兵20人以上が被害を受けたという事件が起こりました。この事実が『ウォール・ストリート・ジャーナル』7月18日号で報道されて、7月22日の衆議院「沖縄及び北方問題に関する特別委員会(注25)で取り上げられました。
宇野宗佑(自民党)がVX神経ガスのような致死性のCB兵器(生物・化学兵器)が沖縄に置かれていることは「沖縄県民に対する陵辱だと思う」、CB兵器の撤去をアメリカ政府に交渉すべきだと愛知揆一外務大臣を追求して、一部の外務省の見解を紹介しています。施政権がアメリカにある以上、撤去を求めることは難しいから、「善処を要望するとか配慮を要望する」と言っているが、「非常に軟弱外交的な考え方」だと批判しています。愛知外務大臣はのらりくらりとした対応で、オズボーン公使の回答は「化学兵器として使用されるガスではあるが、致死性のVXではない」と言われたから、1972年に予想されている沖縄返還までに撤去してもらう姿勢で対処すると答弁しています。
永末英一(社民党)が査察をしない限り国民としては安心できないと追求すると、愛知外相は「友好関係にある政府が[VXガスはないと]保証するということで」、それを信じるのが日本政府の姿勢である、BC兵器の査察は方法的に不可能だと答弁します。永末議員が7月21日のアメリカ国務省報道官の記者会見で、日本政府からは何の申し入れも抗議もないと言った、琉球政府主席は申し入れた、日本政府はいつ申し入れたのかと詰め寄ると、愛知外相は「何もそうこだわる必要はない」と発言します。次に、毒ガスの性質を探るために被害の状況についてアメリカ側から情報を得たかと永末議員が追求しました。答弁で被害者24人が医学的観察を受け、6時間後に全部クリアされたというので、永末議員は国民の心配はこの物質が何か、国民の生命を守ろうというなら物質の性質をアメリカに照会しなければならない、BC兵器を沖縄・本土に持ち込むことを禁止する協定か条約を締結すべきと要求すると、愛知外相は回答を避けます。
アメリカ公使が外務省に対して、本土には化学兵器は持ち込んでいないし、将来も持ち込まないと言ったと、外相がこの委員会で最初に紹介したのですが、渡辺議員によると、相模原のアメリカ406部隊は非公式に生物兵器を研究しているというアメリカの報道があると指摘します。外務大臣は友好関係にあるアメリカの言うことを信じると言ったが、私たちが「アメリカを信じている間に、アメリカとしては着々とそういうことをする」、沖縄の問題もそうじゃないかと指摘します。愛知外相の回答は、相模原の「第406部隊医学研究所」ではBC兵器の研究開発を行なっている事実はない」というのが外務省の調査結果だと答弁しますが、何の根拠もあげていないことが批判されます。
2日後の衆議院本会議で、琉球政府の屋良主席は「沖縄は世界最悪の基地だと、悲痛な訴え」をしたと渡辺議員が紹介し、日本政府はアメリカに対して抗議もしていないと指摘して、「何たる醜悪でありましょうか。政府の重大な責任」「なぜ国際法に違反するアメリカのガス兵器に対して、主権国家である我が日本がき然たる要請をしないのか。(中略)対米隷属の姿勢に対して、日本国民の名において深く反省を求める」(注26)と述べます。佐藤栄作総理大臣は、米国政府の言うことを信じ懸念はない、「生物・化学兵器は日米安保条約の対象となっておりません」と答弁し、まるでサリンもVXも米軍基地にあることは問題ではない、抗議などできないと言うかのようです。
未使用の枯葉剤を1960年代から沖縄に移動〜撤去の真相
1969年7月8日の事件の真相が2013年発表の海外の論文「沖縄、太平洋のペンタゴン毒性ごみ溜め」(注27)で明かされます。この論文は2013年6月に沖縄市のサッカー場で見つかったドラム缶61本から枯葉剤成分の2,4-D、245Tなどが見つかったニュースから始まっています。その後の調査で、埋設ドラム缶のたまり水からは規制値の2.1万倍のダイオキシンが検出されました(2015年6月30日、(注28))。米国国防総省の資料によると、沖縄は「太平洋のゴミの山」(Junk Heap of the Pacific)と呼ばれているそうです。米軍基地を持つ他の国(ドイツや韓国)とは違い、日本政府は米軍による環境汚染調査をする権限を持たないし、ペンタゴン(アメリカ国防総省)は日本に存在する汚染状況を日本国民に開示する義務もないと述べています。米軍基地が存在し始めてからずっと、沖縄県民は土壌・空気・海の汚染に晒され続けており、最初の例として、1947年に住民8人が米軍経由のヒ素で死亡した事件をあげています。
沖縄統治時代(1945-1972)の沖縄はアメリカの法律にも日本の法律にも守られなかったため、ペンタゴンは大量の核・化学兵器を沖縄に貯蔵し、沖縄を原子力潜水艦の休憩地にして定期的に寄港しました。1968年には核物質コバルト-60が那覇港で検出され、それがアメリカ原子力潜水艦によるもので、海底に堆積した核物質に被ばくして潜水夫3人が病気になったという日本の報道を紹介しています。核持込みに関して、歴代首相と外務省が1960年の日米安保条約改定時に核持込み密約をかわしながら、国会では否定し続けてきたことを、民主党政権時の岡田克也外相が2010年に明らかにしています(注29)。
2012年12月の『ジャパン・タイムズ』記事(注30)によると、新たに見つかった文書から、アメリカ軍は1962年に「生物・化学戦の脆弱性テスト」と称して、アメリカ軍兵士を対象にサリンやVXガスNO人体実験を行うために、36人の小隊を那覇市知花に送りました。この噂は退役軍人の間で広まって行きますが、アメリカ世論は政府がアメリカ兵にそんなことをするはずがないと信じようとしませんでした。CBSテレビの報道シリーズが放映されると、ペンタゴンはようやくこの作戦の存在を認めましたが、このテストで被害を受けた兵士はいないと主張しました。しかし、2000年に発覚したことは、国防省が関連書類の1%しか調査せず、隠蔽したままで、研究者は「過去50年間の嘘と秘密主義と絶えず話を変える国防省が議会や国民に提出する情報を信じることはできない。沖縄で実際に何が起こったのか、これらの生物・化学兵器がまだ沖縄に残っているのかさえ知られていない」と批判しました。この研究者(John Olin)によると、1960年代〜1970年代に沖縄では原因不明の出来事が多く発生しました。1968年に一般人がアメリカ軍の貯蔵庫付近の東海岸で泳いだら、200人以上が化学火傷のような症状で苦しんだこと、2年後には知花の弾薬庫が火事になり、近くの瑞慶山(ずけやま)ダムの作業員が病気になったとかです。1969年までワシントンは沖縄に生物化学兵器があることを認めることも否認することもしませんでした。
この存在が明るみに出たのが1969年7月の猛毒ガスの漏出事故です。アメリカ・メディアの報道によってペンタゴンは生物化学兵器が沖縄にあることを認めざるを得ず、沖縄県民の抗議で、1972年の沖縄返還までに撤去することを約束しました。「赤帽作戦 化学兵器と国防省が沖縄に張った煙幕」(2013、(注31))という論文によると、米軍はジョンストン島[ホノルルの南西にあるサンゴ島]に移送すると公表しましたが、実際は沖縄の海に投棄したそうです。その総量12,000トンで、サリンやVXガスなどの致死量がミリグラム単位であることを考えたら、恐ろしい量です。元兵士の証言によると、沖縄の海に投棄された猛毒ガスは直径90cm、長さが3mのステンレス製コンテナに入れられ、1971年の時点ですでに腐食していたものもあったそうです。サリンやVXガス以外の猛毒ガスはびらん性毒ガスのルイサイトで、直接的症状は制御不可能の嘔吐、長期的には視力を失い、呼吸器系に永久的な損傷を与えるというもので、これらが腐食したコンテナから漏れれば、海洋生物のみならず、海水浴、漁業、海中作業者に多大な影響を与える可能性は高いでしょう。元兵士たちが病気でいまだに苦しんでいること、沖縄県民の間に広がる病気と毒ガス・ダイオキシンとの関係、返還された元基地の土地の汚染問題が明るみに出てくるだろうと締めくくっています。
「赤帽作戦」と呼ばれた化学兵器の移送は、知花弾薬庫から現うるま市の天願桟橋まで、時期は第一次1971年1月13日、第二次7月から56日間でした。沖縄県公文書館のHPに当時の琉球政府がいかに苦労したかが記されています(注32)。アメリカ軍基地内の移送道路の建設費20万ドルとそれ以外の経費40万ドルはアメリカ軍が負うべきだと屋良主席は主張しましたが、日本政府とアメリカ軍の間の密約で日本政府が負担すること、それを屋良主席に知らせず、「米軍に断られた屋良主席がやむなく日本政府に支援を求めるようにさせるという『シナリオ』」が出来上がっていたそうです。移送道路周辺の住民5,000人を避難させての大変な事件だったのです。
事件はこれで終わりません。『ジャパン・タイムズ』の記事によると、翌年の1972年に北谷町(ちゃたんちょう)のキャンプ桑江で訓練を受けたアメリカ兵が証言したことから、化学兵器全てを移送したというペンタゴンの話は虚偽だったことが判明します。地中に埋めたものがあり、現に1981年に普天間飛行場の整備担当者が100缶以上の枯葉剤と思われるものを掘り起こしたと報道されています。
「戦争の遺産:沖縄とベトナムを結ぶもの」(2012、(注33))という記事によると、ベトナムでは危険性をメディアが大々的に報道したため、2012年にアメリカがダナン市の元アメリカ軍基地の除染を始めましたが、その背景にはアメリカがベトナムとの関係を良好にしてベトナムにアメリカ軍基地を設立しようという政治的計算があるのではという見方もあるそうです。ベトナム赤十字の推計では、現在ダイオキシンの被害に苦しむ人は300万人おり、ダナン市には5,000人の被害者の他、寝たきり状態の人、知的障害を持つ人も多く、彼らは3世代目の被害者で、被害は今後ずっと続くと予想されています。
平和を弾圧する安倍政権・外務省・防衛省
1969年にサリンやVXガスを撤去するようアメリカに求めることはできないと主張した外務省の対米隷属の対応は、2009年の民主党政権誕生前の外務官僚の対応と似ています。普天間基地移設は「最低でも県外、できれば国外」を公約に掲げた鳩山由紀夫氏が首相になった2009年9月16日(注34)の二日後に、外務省の斎木昭隆アジア太平洋州局長(当時)と藪中三十二外務事務次官(当時)が訪日したキャンベル国務次官補に「民主党は官僚を抑え、米国に挑戦する大胆な外交」をしようとしている、「国内には日本が対等に扱われていない、という感覚があり、民主党はそれを政治的に利用した」と訴えて、「愚か」と批判したと、2009年12月16日付のアメリカの公電が伝えています。さらに、2009年10月12日に普天間問題協議のために訪日したアメリカ国務・国防総省の当局者に対し、高見沢将林防衛政策局長(当時)が普天間移設問題でアメリカは民主党政権に妥協すべきではない」と助言したそうです(注35)。
その半年後の2010年4月19日に外務省北米局日米安保条約課と防衛省日米防衛協力課の役人が総理公邸に来て、「普天間移設問題に関する米側からの説明」という「極秘」文書を見せ、結果的に鳩山首相は普天間飛行場の県外移設を断念し、辞職に追い込まれます。その後、外務省はこの文書の「存在は確認できない」と正式に答弁し、鳩山首相が見せられたのは「怪文書」だったことが判明します(注36)。
これら外務・防衛官僚の暗躍は止まらず、2009年11月13日に初来日したオバマ大統領(当時)の訪問前(2009年8月28日)に藪中外務事務次官がルース駐日大使と会談し、その内容を伝えるアメリカ大使館から本国政府にあてた公電をウィキリークスが公開した(2011年9月26日)ことで明らかになりました。当時の新聞記事をネットで検索しましたが、なぜか削除されていて、共同通信の記事「オバマ氏の広島訪問は尚早 藪中外務次官、米大使に伝達」(注37)しか見当たりません。この事件を分析している元外務官僚・浅井基文氏のサイト記事(注38)から引用します。浅井氏の他の論考も読みましたが、当時の民主党政権については辛辣な批判を展開しているのに、藪中氏の発言については外務省出身者同士だからか、批判ではなく、発言の背景にある思考経路を推測するという内容です。
時期的には2009年9月30日の衆議院総選挙前で、「民主党政権が誕生することが確実視されていた状況の下で」藪中・ルース会談が行われたそうです。2種類の公電のうち、オバマ大統領の広島訪問に関するものは、以下の内容だと浅井氏は紹介しています。
藪中は、オバマ大統領が第二次大戦中における原爆投下について謝罪するために広島を訪問するという考え方は『成功する見込みがないもの』(浅井注:英語はnon-starter)であるので、両政府はそのようなテーマに関する人々の期待を抑制しなければならないと強調した。仰々しくない簡素な広島訪問であれば正しいメッセージを伝える上で十分に象徴的(意義がある)だろうが、11月の(日本)訪問にそのようなプログラムを含めるのは早すぎる。
この発言の藪中発言の背景を浅井氏は次のように推測しています。「日本国内の期待感が高まっていたオバマの広島訪問問題に外務省が神経をとがらせており、すでに広島を訪問していたルース大使が、オバマに広島訪問を勧めるが如き『暴走』『軽挙妄動』しないように、日本側が口火を切ってルース大使を日本側の設定する土俵に乗せようとしたことは十分考えられる」。謝罪についての発言は公電の通りに言ったのか疑問としながらも、考えられる背景を以下のように分析しています。
アメリカの拡大核抑止政策が日本にとって必要不可欠であり、そのためにも非核三原則を変える必要があるとする前提で物事を考えていたに違いない藪中次官としては、オバマの広島訪問に関わる発想・意図が原爆投下に関する謝罪にないことは明らかにせよ、オバマが広島を訪問するという事実自体が「そういうもの」として日本国内で受けとめられてしまうことを危惧した可能性はある(中略)。つまり、原爆投下はアメリカが日本に謝罪すべき誤りだったし、オバマの広島訪問によってアメリカがそれを認めた、という「誤った」理解(外務省からすれば)が日本国内で一方的に進行してしまうと、「日本を守るためにはアメリカの「核の傘」が必要だ」、したがって「その妨げになる非核三原則は改める必要がある」という方向で核密約問題の取り扱い・処理を利用していこうと考えていた外務省の方針・政策に狂いを生じさせかねないわけで、そういう考慮が以上のような藪中発言になったということは考えられないことではない。
一方、普天間移設問題で「アメリカは民主党政権に妥協すべきではない」とアメリカに助言した高見沢将林防衛政策局長(当時)が、2014年に軍縮大使として、日本の高校生平和大使がジュネーブ軍縮会議で核兵器廃絶を世界に訴えるスピーチを阻止されたと日本外務省に公電を打ったと報道されています(注39)。某核保有国の軍縮大使が強硬に反対したという報告ですが、それまで認められてきた高校生のスピーチを見送った外務省の理由に、「本会議で高校生がスピーチしようとしても、報道機関に公開されている場で止められてしまいかねない」というのを挙げている点が不思議です。日本側は「若い世代の活動を通じて、核兵器使用の惨禍について正確な認識が深まり、『核兵器のない世界』に向けた国際社会の機運が高まっていくことを期待している」と反論したというのです。それならなおさら、本会議で高校生が平和を訴えるスピーチをして、某国が阻止しようとし、それが世界中に報道されるというのは非常にいいことじゃないでしょうか? 高校生の平和スピーチを「見送った」外務省と防衛省の動きは、安倍政権下で、「9」という数字のついたTシャツを着ていただけで職務質問されたり、国会の傍聴を拒否されたりする動き(注40)と連動しているようです。平和や平和憲法を考える集会を規制する自治体や教育委員会が増えたこと(注41)とも関連する動きなのでしょう。
与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」(1904)を思い出しました。「親は刃をにぎらせて/人を殺せとをしへしや/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや」を、上記の人々は危険思想だと言うのでしょう。この日露戦争の戦死者数はデータによって幅がありますが、少ないデータでも戦死者8万4000人、戦傷者14万3000人(注42)、多いデータでは戦死23万8,666人、戦傷者15万3,583人(注43)です。この悲惨な戦争を安倍首相は終戦70年の談話で賛美し(注44)、「戦争のできる国」、つまり多くの若者たちに「血を流させることのできる国」にしたいと言い続けています。
注
注1 | 有吉佐和子『複合汚染』、新潮文庫1990年版。新聞連載の後、単行本が1975(昭和50)年に新潮社から出版され、新潮文庫は1975(昭和54)年初版となっています。私が読んだのは1990(平成2)年30刷版です。 |
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注2 | Sara Reardon, “Autism and DDT: What one million pregnancies can –and can’t—reveal”, NATURE NEWS, 16 August 2018. https://www.nature.com/articles/d41586-018-05994-1 |
注3 | 「食品添加物リスト」日本食品化学研究振興財団 http://www.ffcr.or.jp/shokuhin/2018/07/407593771B8750E94925690D0004C83E.html?OpenDocument |
注4 | 「海に漂う“見えないゴミ”~マイクロプラスチックの脅威〜」NHK『クローズアップ現代+』2015年10月29日 http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3725/1.html 兼廣春之「洗顔料や歯磨きに含まれるマイクロプラスチック問題」海ごみシンポジウム(H28.1.23-24) http://www.env.go.jp/water/marine_litter/08_HaruyukiKANEHIRO.pdf 小倉正行「安倍政権、マイクロプラスチック汚染を野放し…ペットボトル飲料、化粧品、魚介類で」『ビジネスジャーナル』2018.04.11, |
注5 | 「日本のプラスチック『リサイクル』実際には何が起きているのか」BBC, 2018年9月4日 https://www.bbc.com/japanese/video-45405094 |
注6 | 「安倍首相が率先してG7の『海洋プラスチック憲章』への署名を見送っていたことが明らかに」BUZZAP!, 2018年6月17日 https://buzzap.jp/news/20180617-g7-oceans-plastic-pollution2/ |
注7 | 渡辺諒「イタイイタイ病 腎臓縮小 カドミウム影響、造血機能も損傷 富山大分析」『毎日新聞』2018年5月6日 https://mainichi.jp/articles/20180506/ddm/041/040/109000c |
注8 | 「カドミウム汚染農地が復元 富山」(共同)『日本経済新聞』2012/3/17 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1700Z_X10C12A3CC0000/ |
注9 | 「コメのカドミウム濃度に基づく流通規制の歴史」農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/kome/k_cd/documents/01_reg.html |
注10 | 歌野清一郎「カドミウム米も焼却処分 農水相『事故米と同様に処理』」『朝日新聞DIGITAL』2008年10月14日 http://www.asahi.com/special/071031/TKY200810140057.html |
注11 | 渡辺芳枝「給食のご飯から基準超すカドミウム 兵庫・神河町」『朝日新聞DIGITAL』2010年2月13日 http://www.asahi.com/special/071031/OSK201002120155.html |
注12 | 「経済的で効果に優れた水稲用後期除草剤。粒状水中2,4-D『日産』」日産化学 https://www.nissan-agro.net/products/single.php?id=3558 |
注13 | 「除草剤2,4-Dの残留基準値を緩和」有機農業ニュースクリップ、2018.6.8 http://organic-newsclip.info/log/2018/18060930-1.html |
注14 | 「ベトナム戦争後、行き場を失った“枯葉剤”が日本に埋められている—全国54か所の国有林リスト」『日刊SPA!』2017年11月27日 https://nikkan-spa.jp/1432228 「九州20カ所に猛毒埋設 ベトナム戦争の枯れ葉剤成分 専門家『漏出の恐れも』 地元に不安」『西日本新聞』2018年8月23日 |
注15 | 1969年7月23日開催の衆議院外務委員会で楢崎弥之助(社会党)が指摘。 「第061回国会衆議院外務委員会 第33号」昭和四十四年[1969]七月二十三日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0110/main.html |
注16 | 三井東圧化学が見解を発表し、『朝日新聞』(1969年7月24日)が報道。原田和明「枯葉剤機密カルテル第2回」「世界の環境ホットニュース[GEN]」585号2005年6月2日 http://melma.com/backnumber_90715_3216515 |
注17 | 原田和明「枯葉剤機密カルテル第16回」「世界の環境ホットニュース[GEN]」601号2005年8月22日 http://melma.com/backnumber_90715_3321028 |
注18 | 原田和明「枯葉剤機密カルテル第5回」「世界の環境ホットニュース[GEN]」588号2005年6月13日 http://melma.com/backnumber_90715_3232935 |
注19 | 原田和明「枯葉剤機密カルテル第6回」「世界の環境ホットニュース[GEN]」588号2005年6月13日 http://melma.com/backnumber_90715_3236588 |
注20 | 「第六十三回国会衆議院 社会労働委員会 第27号」昭和四十五年[1970]十月九日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0200/main.html |
注21 | 原田和明「枯葉剤機密カルテル第19回」「世界の環境ホットニュース[GEN]」604号2005年9月3日 http://melma.com/backnumber_90715_3336505 |
注22 | 「第063回国会衆議院 農林水産委員会議録 第31号」昭和四十五[1970]年七月十日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0230/main.html |
注23 | 「第101回国会衆議院 農林水産委員会 第17号」昭和五十九年[1984]五月十七日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/101/0230/main.html |
注24 | 「第096回国会 農林水産委員会 第7号」昭和57[1982]年3月18日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/096/0230/main.html |
注25 | 「第061回国会衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第22号」昭和四十四[1969]年七月二十二日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0710/main.html |
注26 | 「第061回国会衆議院本会議 第64号」昭和四十四[1969]年七月二十四日 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0001/main.html |
注27 | Jon Mitchell “Okinawa- The Pentagon’s Toxic Junk Heap of the Pacific”(沖縄、太平洋のペンタゴン毒性ゴミ溜め), The Asia-Pacific Journal Japan Focus, Vol.11, Issue 47, No. 6, Nov. 22, 2013. https://apjjf.org/2013/11/47/Jon-Mitchell/4039/article.html 日本語訳:「原子力発電 原爆の子」サイト |
注28 | 「ダイオキシン、基準値の2.1万倍 沖縄市のドラム缶」」『琉球新報』2015年6月30日 https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-245003.html |
注29 | 「核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開」『朝日DIGITAL』2010年3月10日 http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201003090277.html |
注30 | Jon Mitchell “’Were we marines used as guinea pigs on Okinawa?’”, The Japan Times, Dec.4, 2012. https://www.japantimes.co.jp/community/2012/12/04/issues/were-we-marines-used-as-guinea-pigs-on-okinawa/#.W5VPyC09xAY |
注31 | Jon Mitchell “Operation Red Hat: Chemical weapons and the Pentagon smokescreen on Okinawa”(赤帽作戦 化学兵器と国防省が沖縄に張った煙幕)、The Asia-Pacific Journal Japan Focus, May 26, 2013, vol.11, Issue 21, No.1 https://apjjf.org/2013/11/21/Jon-Mitchell/3975/article.html |
注32 | 「1971年1月13日 第一次毒ガス移送」沖縄県公文書館 http://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4663 「1971年9月9日『毒ガス移送』終了—あの日の屋良主席」沖縄県公文書館 |
注33 | Jon Mitchell “The war legacy that binds Okinawa and Vietnam”, The Japan Times, Nov. 11, 2012. https://www.japantimes.co.jp/life/2012/11/11/general/the-war-legacy-that-binds-okinawa-and-vietnam/#.W5VFay09xAY |
注34 | 「歴代内閣ホームページ情報 鳩山由紀夫内閣総理大臣(第93代)」首相官邸HP https://www.kantei.go.jp/jp/hatoyamasouri/index.html |
注35 | 「不信の官僚、『米は過度に妥協するな』<米公電分析>」『朝日新聞DIGITAL』2011年5月4日 http://www.asahi.com/special/wikileaks/TKY201105030296.html |
注36 | 「外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた」『田中龍作ジャーナル』2016年2月4日 http://tanakaryusaku.jp/2016/02/00012907 書評:金平茂紀・鳩山由紀夫・孫崎亨『「戦争のできる国」ではなく「世界平和の要の国」へ』(あけび書房、2016)『法学館憲法研究所』2016.06.13 |
注37 | 「オバマ氏の広島訪問は尚早 藪中外務次官、米大使に伝達」共同通信 2011/09/26 https://archive.fo/4GUbX |
注38 | 「外務省事務次官のオバマ広島訪問に関する発言(ウィキリークス公開電報)『浅井基文Webサイト』2011.10.25 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2011/417.html |
注39 | 「平和大使演説阻止へ圧力 外務省公電で判明『高校生に退出要求もできる』核保有国?が日本に」『西日本新聞』2017年11月14日 https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/394455/ 「軍縮会議 高校生平和大使の演説見送り 核保有国圧力」『東京新聞』2017年11月15日 |
注40 | 「9条Tシャツを着ているだけで国会傍聴から締め出し! 改憲に動き出した安倍政権の『憲法9条』弾圧が深刻化」『リテラ』2018.07.04, https://lite-ra.com/2018/07/post-4106.html |
注41 | 「憲法集会 市が後援断る 神戸や長野・千曲引き受けて来たの『安倍改憲』に呼応か『尊重擁護義務を放棄』の声」『しんぶん赤旗』2014年3月7日 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-07/2014030715_01_1.html 「安倍政権を問う(中)憲法・安全保障『9条 語りづらくなる』」『東京新聞』2014.11.26 若林幹夫「憲法集会後援また断る 兵庫県と神戸市、各教委も」『神戸新聞』2016/10/27 |
注42 | 「日露戦争史」アジア歴史資料センター https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/hayawakari03_03.html |
注43 | 「統計資料 歴史統計 戦争別死傷者数」帝国書院 https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index04.html |
注44 | 「内閣総理大臣談話」平成27年8月14日 https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html |