大東亜戦争は侵略戦争ではない、正義の戦争だったという論が横行する現在の日本で、日中戦争を『ニューヨーク・タイムズ』がどう伝えていたかを知るのは意義があると思い、まず満州事変(1931年9月18日)の2,3ヶ月前に何が起こっていたのか、それを世界はどう見ていたかを追います。
排外主義・歴史修正主義・差別が広がる現在の日本で読み直すべき報道
太平洋戦争の最中(1944)にアメリカで発表された1801年の日米交流を紹介した人(「英米に伝えられた攘夷の日本(4-12)」参照)とそれを聞いたアメリカ市民が日本との戦争について、どんな報道を目にしてきたのかを知りたいと思いました。そこで、太平洋戦争に導いた日中戦争について『ニューヨーク・タイムズ』の報道を追ってみます。日本軍が起こした南満州鉄道線路の爆破(1931年9月18日)を9月19日の日本の新聞は中国兵が爆破し、続いて起こされたいわゆる満州事変も中国兵の謀略によるものだと報道しましたが、同日の『ニューヨーク・タイムズ』は「中国との戦闘で日本がムクデン[奉天]を占拠;都市にさらなる部隊を急派」と第一面で伝えています。
当時の『ニューヨーク・タイムズ』を追っていくと、1931年9月19日からほぼ連日一面記事ですし、日本軍の侵略地点の地図と現地の写真とともに、詳細が続くページで報道されています。刻々と変化する状況が東京・上海・南京・奉天等・ワシントン・ジュネーブ・モスクワの特派員、あるいはAP通信からの報道を通して、緊迫感や臨場感を伴って伝わってきて、当時のアメリカ市民がいかに豊富な情報を与えられていたかがわかります。
これらの記事を読みながら、現在に繋がっているという思いを強くしました。「排外主義・歴史修正主義・差別」が「アベ的」と称されますが、安倍首相の右派歴史認識の原点が初当選した1993年に参加した自民党「歴史・検討委員会」の趣旨にあるといいます。「大東亜戦争」は侵略戦争ではないというもので(注1)、それ以後、「排外主義・歴史修正主義・差別」が3点セットで安倍政権下で強化されています。現在では嫌中嫌韓などの排外主義を主張する市民が「ネット右翼」だけではなく、「社会が右傾化する流れの中で生じたポピュリズム型」と分析される人々に広がっているそうです。その割合が21.5%もいるという衝撃的調査結果が2018年10月7日に発表されました。首都圏の8万人の調査結果ということで、「ネット右翼」もそれ以外の「排外主義者」も「経営者や自営業者が多い傾向がみられ」るというのも驚きです(注2)。
「侵略戦争ではない」どころか、「正義の戦争」だと主張するのが、「靖国神社職員有志」だという報道まで出てきました(注3)。こんな危険な風潮の中で、当時の国際社会は日本の戦争どう見ていたかを知る必要も意義もあると思い、かなりの作業ですが1931年から1945年までの報道を追ってみます。出典の詳細は最初の『ニューヨーク・タイムズ』のアーカイブURLの日付を変えると当該日付の新聞がパソコン画面で見られますので、いちいち注はつけずに、日付とページ数を記します。アーカイブで当該日付の新聞にアクセスしてみてください。当日の新聞全部が出てくるので、画面をスクロールすれば当該ページを読むことができます。見出し・小見出しだけでも大体の内容が予測できるので、特に重要な内容の記事以外は見出しを訳します。
未曾有の長江洪水の大惨事の最中に満州事変の予兆
1931年9月19日前の記事で特徴的なのは、7月に起こった長江の大洪水に関する報道です。8月22日には第一面に地図を掲載して「長江洪水が漢口を飲み込んだ;北部の淮河[わいが]沿岸には80の行政区がある;数千人が死に、3千万人がホームレス」(注4)という見出しの記事が大きく出ています。以下に時系列で見出し(赤字)と小見出し(カッコで区別)を訳します。
1931年8月22日一面:長江洪水が漢口を飲み込んだ—北部の淮河[わいが]沿岸には80の行政区がある—数千人が死に、3千万人がホームレス(AP通信:漢口発8月22日)
小見出し「数千人が都市から避難—その他の人々は川が谷を襲ったので漢口で死を待っている—避難民は飢餓に直面—援助ない数百万人が病気の犠牲に—穀物と家畜が消失—中国は救済ローンを計画—アメリカ赤十字がこの大惨事は史上最大規模と言う」
p.3写真掲載:中国の洪水災害の場面「漢口の長江、迫り狂う水から数万人が逃げる」「長江上流の宜昌渓谷への入り口」
「蒋介石[1887-1975]がフーバー大統領[1874-1964]のお見舞いに感謝」:感謝状全文を掲載。
p.3:「日本が洪水被災者に援助」(東京発8月21日)
裕仁天皇が漢口洪水の被災者に1万円(5,000ドル)寄付。8月21日午後の会議で外務大臣、大蔵大臣、日本の主要企業のトップが出席し、中国のために全国救済ファンドを立ち上げることが決まった。
1931年8月23日一面:我が国のアジア艦隊が漢口の被災者を救助するよう指令された(上海発8月22日)
「洪水地域の死者数は200万人と予想—飢餓が被災者を襲う—漢口の増水は止まった模様だが、死者数は増加を続ける—上海が救助に動く—富裕層2,000人が毎日上海に流入—その他15万人を受け入れる計画」
1931年8月24日p.6:中国内で洪水救済の会談(AP通信:中国漢口発8月24日)
「数千人が死に続ける中で委員会が設立されているが、救助はまだ行われていない—病気が蔓延—多くの死体が長江に捨てられ流されている—外国人も危機的状況」
死亡率が毎日上昇し続け、1日に1,000以上の死体が死んだ馬・犬・家畜とともに氾濫する長江に投げ捨てられ、流されている。
1931年8月25日一面:台風が中国の洪水地域を襲う(AP通信:漢口発8月24日)
「飢えた漢口の避難民が兵士と衝突—武昌堤防の決壊で1,000人溺死—新たな小麦嘆願の計画—南京[政府]は我が国の農業委員会にもっといい条件を求めた—社会の混乱が不穏」
漢陽・武昌・漢口の3市の膨大な死・病気・飢えという運命を台風の襲来が完結させると恐れられている。洪水による大量の水に強風が吹けば、崩壊寸前の土台が完全に破壊されることは確かだ。
1931年8月27日p.7:漢口が洪水難民に食糧を与えている(AP通信:中国武昌発8月27日)
「市・軍・支援団体がキャンプの40万人難民を救済—医師たちがコレラと格闘—病気はまだ疫病レベルに達していないが、赤痢で多くの子どもが死んでゆく」
1931年8月31日一面:中国でさらに20万人の死亡が報告された(上海発8月30日)
「台風の後、揚州地域の15カ所で大運河が決壊—漢口で15万人死亡—飛行機から数百平方マイルが水没して見えた」
p.7写真+地図掲載:「洪水が漢口に流れ込む」、写真キャプション:「7月上旬に浸水が始まった頃の漢口の日本租界のPing Po通りの洪水」
大洪水に苦しむ中国に武力行使するのは倒れた男を叩く行為に等しい
1931年9月1日p.6:洪水災害で中国は平和を手にする(Hallett Abend署名:北平発8月31日)
「大災害のために反乱首脳は[戦闘を]延期し、日本との緊張関係が緩和—広東人も静か」
満州とその他の地域での中日間の度重なる衝突が、日本に懲罰的行為、あるいは思い切った報復を起こさせるほど、日本が激怒していたことは否めないが、この状況下でこの種の冒険をすることは、倒れた男を叩く行為に等しいとみなされる。
国民党首の蒋介石[1887-1975]将軍を軍事的行為かその他の方法で追放しようと公言する広東政府の意図は、洪水災害で妨げられている。どの派閥であっても、今戦争を起こせば、たとえ勝利しても、世界から賛同を得られず、その政権は長続きしないだろう。
1931年9月4日p.7:満州政府は国際連盟の調査を要求(Hallett Abend: 北平発9月3日)
「北平のムクデン高官は日本との紛争の調査をジュネーブに提案—暴動の責任を否定—中国は日本が軍事行動の言い訳を求め、コリアンの恨みを助長すると主張—二重国籍が与えられる—帰化中国人を日本人とみなす慣行は有害だと満州政府は言う」
満州内の中国人・日本人・コリアンの間の緊張関係に関して、満州高官が今日「中日問題のあらゆる側面を完全に調査するために、国際連盟が任命した者が満州に住むことを強く求める」と表明した。
日本が協力と調停政策を追求したいと表明したことに対し、中国が冷淡だと主張する満州日本人と朝鮮の日本当局の言い分を吟味した結果、ムクデン高官は中国人は平和を愛する国民であり、傲慢ではなく、中国は現在の国家の弱さを認識しており、いかなる外国、特に日本との衝突を招いたり挑発するようなことはしないと言った。
「衝突の責任を満州政府に負わせる」
北平のムクデン政府の首脳たちの態度と意見を精査すると、もし暴動が起きたら、それは中国の責任だと海外に広めようとする日本の宣伝工作員たちの見方を満州当局が予想しているという事実が明らかになる。一方、満州当局は全ての衝突と「事変」は日本が扇動したと主張し、中国は大きな事変の結果を恐れるあまり、いいなりにならざるを得ない。
中国当局は満州の住民が日本の兵士・警察・民間人からの侮辱に長いこと耐えてきたと言う。そして今やこの状況は耐えられないと思っているが、ムクデン政府は自らの弱さを自覚しているので、世論の憤りを抑える努力をし、公式には協力を表明し、紛争の平和的解決を望んでいる。満州政府は日本が極東の平和の安定には土地保有問題の公平な解決が必須だと主張することが理解できないと公言している。
満州政府は満州地域が明白に中国の統治下にあると宣言し、極東の平和の安定は日本が領土的野心を放棄し、全ての紛争を正義と平等の元に解決する意思を持つかにかかっていると言う。土地保有と条約権の問題を論じて、満州政府は日本が21ヶ条要求に基づいた1915年条約以外は何の権利もないと主張する。中国はこの条約の合法性を一度も認めておらず、ワシントン会議でも非難した。
南満州鉄道地帯の日本人は警察と兵隊が中国人に寛大に対応するよう指示されていると言明しているが、ムクデン高官は中国市民との衝突全てで日本人が中国人市民に対し、乱暴で残虐な扱いをするのが絶えないと主張する。だから南満州の中国人住民は恐怖におののき、日本地区を避けようと言い合っている。
満州政府首脳は中国警察と軍隊が全ての外国人、特に日本人を「最高名誉ゲスト」として扱うよう厳しく命令されていると明言し、中国警察が威圧的だと非難する日本の主張を激しく否定している。満州当局は日本人地区で広く主張されていること—満州のコリアンがいつも虐待を受け、自分たちの土地を没収されている—は虚偽だと断言している。
首脳たちの主張は、二重国籍のせいでほとんどの困難が起きていることだ。多くのコリアンが中国の帰化書類を取得したにもかかわらず、日本側はそれでも彼らが日本国民だとして、治外法権の保護の権利があるとする。これはコリアンと日本人のうちの好ましくない階層にとって利点があると言われている。その一方、品行方正な帰化したコリアンは妨害されずに繁栄し、中国人市民と平等に扱われていると満州人は言う。
「二重市民権のせい」
満州首脳たちが確信しているのは、日本が固執する二重市民権を破棄すれば、真の調停と協力に対する主な障害は簡単に取り除かれるということだ。もし抑圧の話が正しければ、なぜ100万人ものコリアンが満州に永住することを自ら選ぶのかと、満州当局は辛辣に尋ねる。満州当局が公に主張していることは、満州在住のコリアン100万人の存在が日本の強い政策を正当化すると日本が考え、また、このグループが100万の「事変」を提供する可能性があると日本が見ているから、日本は二重市民権を主張し続け、中国に帰化したコリアンの保護を諦めないのだという。
朝鮮内の7月の反中国暴動は日本がけしかけたと満州首脳たちは見ている。中国人が激怒して報復してくれれば、満州の軍事占領の正当化を見せかけることができると日本が期待しているという。満州首脳たちは、多くの中国人知識人たちに対するコリアンの感謝と賛同の解毒剤として、コリアンの恨みを中国に向かせることと、朝鮮の独立に対する望みを抑止するという日本の意図があると信じている。また日本が暴動を通して、朝鮮で栄えている中国商人を朝鮮から逃げ出させて、日本人商人に道を開けることを望んでいるのだと満州首脳は主張する。
長春の日本領事が万宝山事件について誤解を招く報告をコリアン編集長のChin San-liに伝え、彼の騒ぎ立てたレポートが朝鮮に電報で送られ、それで暴動と虐殺が起こったと満州当局ははっきりと非難している。Chin San-liは後に撤回と中国プレスに謝罪を出したが、すぐに吉林市の中国旅館で複数のコリアンに暗殺された。中国側は彼らが吉林—朝鮮国境の日本警察の人間だと非難している。
満州当局は日本人2人とロシア人、モンゴル人の殺人に関する情報は持っていないという。彼らは洮南に向かって西に旅していた。この地域ではパスポートは正当なビジネスに従事する者に発行するが、多くの日本人は回り道をしてヴィザなしで内モンゴルに入るので、この人たちが戻った後で、日本側は彼らが消息を絶ったとか、略奪されたとか、不愉快な事件に巻き込まれたと主張すると、満州当局は表明した。
1931年9月4日の新聞p.7には、上の記事を取り囲むように洪水関係の記事が2本並列されています。「中国はアメリカの救援小麦を45万トン購入」(上海発9月3日)
漢口会議で中国救援を議論
「日本代表が太平洋関係会議で他の問題は後回しと言った」
現在の中国洪水とその人道的影響が10月中旬に予定されている太平洋会議で話し合われると、日本代表の鶴見祐輔[1885-1973]が昨日言った。鶴見氏はこの会議のプログラムは関税、治外法権と満州問題だが、中国も他の参加国も洪水救援以外のことは考えられない今、会議に洪水救援の議題がのぼれば、技術者が見解を述べ、太平洋諸国が救援できるかを話し合うことになるだろうと述べた。参加国は米国・カナダ・英国・日本・中国・ニュージーランド・オーストラリア・フィリピンで、オブザーバーとしてフランス・ロシア、そして多分メキシコとオランダが参加するという。
1931年9月5日p.4:フーバーが中国に小麦を売ると表明(ワシントン発9月4日)
「南京が農業委員会の1,500万ブッシェル長期支払い条件を受け入れる—飢餓地域が穀物を得る—中国が輸送を指示し、アメリカ船舶に入札のチャンス—輸送はすぐに開始—北東倉庫から出発—取引は将来の新マーケットへの期待を掻き立てる」
日本が満州からの説明を要求;大尉殺害への報復の脅威(AP通信:東京発9月5日)
外務省は今日ムクデンに対し、1ヶ月前の中村震太郎大尉をスパイの疑いで中国部隊が射殺したことの説明を求めた。殺害現場に行って調査していた調査委員会が水曜日[3日前]に満州の首都ムクデンに戻ったと報告を受けて、この行動が起こされた。以前ムクデン当局は説明を求められていたが、委員会が調査を完結させるまで時間が必要だと要望していた。
中村と別の日本人、モンゴル人、ロシア人は満州とモンゴルの地図を作成するための中国当局からの許可書を携帯していたにもかかわらず、中国の銃殺隊に殺されたと陸軍省は言った。この事件とムクデン当局の説明が明らかに遅いので、ここ[東京]では激しい憤りが起こっている。満足いく解決がなければ、陸軍省は「思い切った手段」を取ると決意していると、各新聞が断定している。朝日新聞は陸軍高官が「武力に訴えるかもしれない」と言い、日日新聞は陸軍が「満州のどこかに部隊を集結させるかもしれない」と断言した。
陸軍大臣の南大将[南次郎:1874-1955]は内閣に、日本政府は毅然たる態度を取るべきだと言った。彼は、中村大尉の射殺に対する日本の抗議に中国政府が回答しないことを非難した。日本の外務省が抗議に対する中国の国民政府からの回答を待つ一方で、南京からのプレス報道は外務大臣・王正廷[C.T. Wang: 1882-1961]が兵士ではなく、山賊が中村一行を殺したと言ったと伝えている。その他最近のいくつかの出来事が日本の世論の反中国感情を高めている。
満州を軍事占領するという脅しは無責任な軍人の発言
1931年9月6日p.8:東京の陸軍は中国に対する脅しを否定(ヒュー・バイアス Hugh Byas:東京発9月5日)
「兵隊は大尉の死に対する抗議を外交官が対処するのを厳しい目で見ている—下級士官は苦々しい思い—軍隊は南満州の侵略の長いリストを終わらせるよう説得されている」
日本陸軍の中村大尉が8月17日に満州で殺害されたことの賠償を得るために、日本陸軍が思い切った措置を計画していると煽る声明について、今日陸軍省が否定した。陸軍大臣広報官の古庄少将[古庄幹郎:1882-1940]は本特派員に、交渉は外務省の手に委ねられていると言った。「陸軍が外務省の手法に不満だとか、独自の行動を取ることを考えているという報道は根拠がない。この件で、陸軍と外務省は友好的に協力して当たっている。日本の文書に時間的リミットは特定されていないが、回答はできるだけ早くと要求している」と述べた。
この声明は昨日発行された現地新聞夕刊に現れた報道—満州の軍事占領という脅しを伴った中国への最後通牒—への陸軍の回答である。この噂は中国を牛歩戦術から追い出そうと意図したプロパガンダに似ていて、無責任な軍人から発せられたと考えられる。
「回答は届いていない」
日日新聞のムクデン発報道では、9月3日に調査委員会が戻ってきたが、不十分な報告で、新たな調査員が送られたという。しかし、外務省は確認が取れていないと言う。中村事件は危険に満ち溢れている。なぜなら、多くの日本人の意見では、これは満州における日本の権益に対して長く続いている侵害のクライマックスだという。
もし軍の誰かが軍事行動という話を本当に吹き込んだなら、それは彼らがこの侵害は武力行使をしない限り続くと信じているからだろう。彼らの考えでは、加熱したナショナリズムが1929年にロシアと中国との間の衝突で中国人を駆り立て、それが南満州に移動したのだという。南満州では日本の地位は少しずつかじり取られていると言う。
政友会リーダーの1人、森恪[1882-1932]は中国と日本の間には300の未解決の外交問題が残っていると言う。現況の危険性は、イライラさせられる遅延とみなされている中国の政策を阻止するために、日本がある重大問題を終わらせようと駆り立てられるかもしれないということだ。
「兵士に不利な証拠」
古庄少将が今日、中村大尉が山賊ではなく、中国兵に殺された確かな証拠を陸軍が持っていると表明した。(中略)若槻首相[若槻礼次郎:1866-1949]は富山の党大会で日本の対中国政策は「生き、生かし」(”live and let live”)だと述べたが、このような政策を順守することは満州における日本の権益をどうしてでも守る政府の決意と一貫していると言明した。彼が言うには、日本は満州における日本の権益を傷つけるいかなる企てにも断固として抵抗する。
1931年9月8日p.11:黄河が中国の洪水の死者数を追加(AP通信:上海発9月7日)
「河南省の1地区で700人溺死、2万人ホームレス—長江の被害増加—雲南の浸水深刻—この省は『死者無数』と報告」
新たなムクデン調査結果が東京で待たれる(東京発9月7日)
「張学良が参謀長に日本人大尉殺害の調査を命じた」
1931年9月9日p.4:東京の飛行機がムクデンの憎しみを煽る(バイアス:東京発9月8日)
「軍の飛行隊が権益を守れと要求するビラを撒いた—内閣は調査結果を待つ—満州は先月の日本人中尉の先月の死の2回目の調査を行なっている」
中村事件がいかに日本の満州問題に関する感情を煽っているかが、6機の軍飛行隊の驚愕の行動で示された。この飛行機は日本アルプス周辺における最近の練習飛行で、10万枚のビラを落とし、満州における日本の権益が脅かされていることに国民の注意喚起を呼びかけている。金沢はこのビラの洪水に見舞われた。その外見は人目を引き、内容は強烈だ。赤白黒の印刷で、中国を象徴する鉤爪状の手が日本の旗の上に忍び寄る様を表している。その上に満州における13の日本の権利が箇条書きにされている。旗の上にはスローガン「国民諸君、国防に目覚めよ!」が書かれ、下には満州の概要図と3行で以下のことが書かれている。
日露戦争費用は200万円。
日本の満州への投資は総計170億円。
我が国民の死者は2万人。
このビラは金沢第九師団本部が発行したと報道されている。この行動が日本の権益を守ろうという軍グループのキャンペーンに寄与したかはわからないが、観察者はグループの目的が扇動的に宣伝することだと見ている。
ロシアは東京を注視している(Walter Dunranty:モスクワ発9月8日)
「モスクワは独自の経済計画を進めているが、中国における権益を守っている」
1931年9月12日p.7:山東の緊張状態は日本を警戒させる(Hallett Abend:青島発9月11日)
「人種暴動は感情が良くならない限り些細な原因で危険なものになる—中国の言い逃れが非難された—東京の代表者は地域事件の責任の不在に抗議—侵害が認められる—済南当局が治外法権侵害で告発された」
山東の反日感情が広がり続け、500人のコリアンを含む18,000人の日本人が住む町の日本領事とその他の当局の間で深刻な懸念の原因となっている。些細な個人的衝突が大規模な人種暴動にいつ発展してもおかしくないと不安が高まっている。日本側は青島の中国市長とその他の役人が反日プロパガンダを止めようとしたことに謝意を表明したが、中国人と日本人のお互いの敵意が高まり、14,000人の日本人が住むこの町で深刻な事件が起こり得ることも認識されている。
済南には2,000人の日本人が住んでいるが、 中国人元帥のHan Fuchuが国民党の宣伝工作員を抑えて、険悪な感情が広がるのを避けようと努めた。しかし、これらの市を繋ぐ鉄道285マイル沿線に2,000人の日本人が住んでおり、猜疑心と敵意の雰囲気の中で危険と不快な状況である。
「まだボイコットはない」
上海と天津で起こっている反日ボイコットによる問題は、この地域では中国当局がボイコットの開始を認めていないのでまだ起こっていないが、状況は急速に悪化しているというのが一般的な見方だ。
「日本の傲慢さを非難」
満州で聞かれる同じ苦情をここでも中国人が発している。日本人が傲慢で中国の法律や習慣を無視すると非難しているのだ。済南では増加しつつある事件で、中国当局が日本人の治外法権特権を侵害しようとしていると言われる。これは司法に関して、深刻な問題を引き起こし、驚くようなことが発覚している。2週間前、済南で1人の日本人が麻薬行商の罪で逮捕された。日本の総領事館への照会と彼自身の主張にもかかわらず、裁判所は彼が中国人だと主張した。刑罰は背中と両足を竹棒で100回打つというもので、刑があまりに厳しく執行されたため、犠牲者はいまだに入院中で一生不具[英語では今は避けられているcrippleが使われているので]になるだろうと見られている。Han Fuchu元帥はこの件で謝罪した。
p.7:日本は中村の死の賠償を求める(東京発9月12日)
「ムクデンは謝罪と日本人大尉の殺害者の満州での処罰を求められた」
1931年9月13日p.13:ムクデンは日本の要求に従う(ヒュー・バイアス:東京発9月12日)
ムクデン政府は日本軍の中村震太郎大尉が満州で8月17日に殺害された件で賠償をする用意があるようだ。北平の張学良[6月4日に北京から奉天に向かう列車を関東軍に爆破され殺害された張作霖の息子:1901-2001]司令とそのムクデン行政部の意向を示した電報による。
ここ[東京]の日本軍は軍の興奮ぶりが中国側の引き延ばし作戦を諦めさせたと断定しているが、外務大臣幣原[喜重郎:1872-1951]が昨日報道したような日本の詳細な要求を明確に述べる段階を経るという外交的要素が改善を引き出したと一般にみなされている[訳者による強調]。したがって、この事件は複雑さを剥ぎ取られて、中国側は日本が何を期待しているかはっきりと分かり、ここの観測筋が感じているように、日本が中国側に取って恥辱的な額の賠償金を要求しているのでも、満州の日本問題の全体的解決を強要するためにこの事件を口実にするつもりでもないことが分かるだろう。従って、東京が受け取ったメッセージによると、満州当局はこの事件を南京の中国国民党政府を煩わせずに、ムクデンで処理することにした。そして、この事実が確立された段階で、彼らの責任を否定するつもりはないと知らしめるという。
一方、日本における軍の騒ぎは激しくなっている。昨日東京で予備役将校たちによって開催された会合に3,000人集まり、13,000人の予備兵が参加するデモが計画されている。この軍の騒ぎは二つの目的を持つと考えられている。満州の中国側の政策に関して日本人を扇動する一方で、1932年の軍縮会議から起こる可能性のある軍の縮小計画に対する防御を打ち立てることである。
日本軍が軍縮に反対する最強の論は、日本がやっと手に入れた満州における地位を守る必要性である。これが現在起こっている動きにおいては、日本の軍人の殺害に対する憤りよりももっと強い要素だと考えられている。このような副次的な問題を最大限斟酌しても、この事件が示すのは、中国が満州から日本を追い出す目的をもった政策があり、それは阻止されなければならないという感じ方がいかに広まっているかである。今後、東京政府にとって、満州の突出した問題を効果的に解決しなければならないプレシャーが高まるだろう。
注
注1 | 中島岳志「『週刊金曜日』と安倍晋三の25年」『週刊金曜日』2018.10.26(1206号), p.13. |
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注2 | 河村能宏「ネトウヨ像覆す8万人調査 浮かぶオンライン排外主義者」『朝日新聞DIGITAL』2018年10月7日 https://digital.asahi.com/articles/ASLB37DGLLB3UCVL01V.html |
注3 | 「天皇批判の宮司だけじゃない、靖国神社“職員有志サイト”の凄い中身!『大東亜戦争は正義』『陛下の首に縄をつけて・・・』」『リテラ』2018.10.28 https://lite-ra.com/2018/10/post-4337.html |
注4 | The New York Times, August 22, 1931 http://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1931/08/22/issue.html |