『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』(1857.1.3)に柳亭種彦の『浮世形六枚屏風』を紹介した記者は、日本の将軍が自国の物語をイギリスの新聞を通して初めて読むかもしれないという文章で締めくくっています。
『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』掲載の浮世形六枚屏風のストーリー
R.T.(原文)
恋草の種植え初めて堂の島、花なき里を花にする、橋の名さえも梅桜松はみどりの曽根崎に、続く呼屋に引く三味線も、気は二上りか三下り、心せかるゝ三ツ紋佐吉、お花が許へもおとづれず、母よりもろうた百両の金懐中へねぢ込んで、歌川屋の裏波岸(うらがし)を行きつ戻りつ見上ぐれば、奥の二階にしょんぼりと、物案じ気な小松が姿、幸いあたりに人は無し、ここまで来たを知らせの手拍子、恋しゆかしい男の顔、夜目にもそれと見て取って早う早うの手招ぎに、気は飛び立てどつばさは無し、せんかたなじみの家なれば、見付けられたら謝る分と、恋には闇の黒板塀こじ放す音聞き付けて、俄になき出す犬の声、かみ付くばかり吠えかゝれば、雨落の石手当たり次第、掴んで投ぐる其の内に、懐中より百両包ころりと落つるに気も付かず、石と諸共うち付くれば、遥かにそれて川岸に繋ぎ留めたる屋根舟の提灯ばったり打消すにぞ、「えゝ投打し居るはどいつめぢゃ」と寝ぼれ声にてわめかれて、見付けられじと尚うろうろ、二階の上より見るひやいさ小松が松に打ちかくるしごきの帯の蔦紅葉、ようようそれを力草高塀のり越え吐息をつき、「始めからかうすれば、何の骨は折れぬのに、かう云ふ事では盗人にもめったにはなられぬ」と二階へ這入れば小松は取付き、「口合所ぢゃ御座んすまい、わたしは半分死んで居る、くはしい事はお花さんに聞かしゃんした通りの場合(しぎ)、今更お前に引別れ国へ戻って嫁入が、どうまァならうと思はんす、いっそ殺して下さんせ」と、わっと泣出す口へ手をあて、「あゝ静かに云うたがよい、ひょんなおれにつながって、国に御座る親達に、嘆きをかけるは真の悪縁、ゆるしてたも」と云いければ、「あれやうやう忘れて居た国の事を云ひ出して、又泣かせて下さんす、うたるゝ杖もゆかしいもの、ましてや拳もあてられず、可愛がられた父さん母さん、是ればっかりは忘られぬ、迎へに来たは乳母の子にて、顔かっかうは覚えねど、国のゆかりの人なれば、遭ひたいは山々なれど、屋敷勤めをすると云ふ其のわたしが此の様に、あぶらけ無しの大島田、蓮葉ななりで遭はれもせず、心の中の悲しさを推量して」とふし沈む。男は背をなでさすり、「見受けさへしたならば、又仕様もあらうかと、母の情けで百両の金は貰うて持ちながら、掛も払はず裏口から忍び込んで来たわいの、まァ此の金をお花に渡し、おれぢゃと云はずに身の代の、手付に入れて置いたがよい」とさがせどさがせど有らばこそ、「やゝ、今犬に打った礫、重い石ぢゃと思うたが、落した金で有ったも知れぬ、えゝこれ手拭にでもくるんで置いたらかう云ふ事は有るまい」と呆れて下をさしのぞく。
I.L.N.(『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』掲載の要約)
Sakitsiは金を懐に入れ、夜の話し合いに急いだ。Komatsuは二階の窓際にいて、二人の会話が始まったが、犬の吠え声が邪魔をした。Sakitsiは懐から金の包みを落とし、暗闇の中でそれを石として暴漢に投げつけると、それはボートに落ち、中で寝ていた人を起こしてしまった。Sakitsiは知られるのを恐れ、窓から下がっていた恋人の帯に触れて、その助けで彼女に会えた。
R.T.
小松は尚もすがり寄り、「悪い事の重なるも、死なねばならぬ因縁づく、たとひ見受をさしやんしても、生きて居れば本国へ帰らねばならぬ体、帰れば嫁入をせねばならず、それよりお前の手にかゝるが、此の身の願ひで御座んする、流石にわたしも武士の娘守刀は持って居る、是れで殺して殺して」と男に渡し死神に、誘わるゝこそあわれなれ。「今更そなたに別れては、おれも浮世の望みは無い、石や瓦と百両を取違へる不運では、死んでしまふもましかいの」「そんならお前も諸共に、悦しう御座んすかたじけ無い、今夜の客は座敷ばかり、此の頃つとめた侍衆、昼から上げて置きながら、未だ御座んせぬこそ幸ひ、人目に掛らぬ其の内に」と覚悟きわむる表より、「小松さん小松さんお客さんが御座んした」と云うに驚き袋戸へ、佐吉をあたふたおし隠し、我が身をもたれて素知らぬ顔、口に鼻歌心に称名、最期を急ぐと白紙の、障子引明け入り来る客に、小松は色を悟られじと、「何がお気に入らぬやら、初回の時も座敷からずいと帰ってしまはんす、裏の今日は待ちぼうけ、何処に遊んで御座んした、きっと吟味もしたけれど、馴染の無いだけ免(ゆる)して置く」と言葉に色をもたれ寄る、袂に戸棚をうち覆う、
I.L.N.
Komatsuの絶望は極点に達した。彼女の恋人は金の話で安心させたが、彼が金を探すと、失くしたことに気づき、その原因も推測がついた。今や恋人の苦しみを十分共有し、一緒に死のう、あの世で結ばれようと言った。この不吉な瞬間に、見知らぬ人が入ってきたので、Sakitsiは日本人がドレッサーとして使っている長い箱の中に隠れた。Komatsuの長い袖がこの隠れ場所を隠し、彼女の恋人はこのようにして、意図せず次の場面の目撃者になったのである。
R.T.
客は何とも挨拶なく、扇ばちばち打ちならし、顔をながめて居る所へ、お花は小松になにかの様子、人目も無くば話さんと、うっかり来かゝりびっくりし、「小松さんおまへはあの人見知らずか」「あい今日で二見のお客なれど、心安いお人なれば、まァまァ此方へ這入らんせ」「えゝ、それどころでは無いわいの、そなたの迎へに上った人柳助とは此のおかた」「そんならお前がおゝ恥かし」と云いながら立つも立たれぬ後にも気遣い、「いやいやいや、そなたより此の花が、どうも顔が向けられぬ」と泣き出すを押静め、「あいや、御心遣ひ決して御無用、御本国鎌倉とは引離れたる此の難波、いやしい業をなされても、誰知るものも御座らねば、苗字の疵にはなり申さぬ、唯今では桃井家へ奉公致す雪室柳助、以前は貴方の乳母の倅、乳兄弟なり、御家来なり、拙者がわざわざ参ったは、御内證のお恥に成る事もあらば承り、取りはからへとの御指図、此の間花世さまの言葉のはしばし、何とやら合点参らず存ずるから、方々と聞き合はすれば、小松と云ふ名代の芸子は、花咲屋の姪との噂聞き届けて、念の為客と成って四五日先表向の御一座、幼顔はうたがひ無しと、蔵屋敷にて金とゝのへ、唯今親方徳若屋へ対談致して、身の代つぐのひ、證文を受取ったれば、今宵からは自由の御身、きさごはじきや双六の御合手致した此の柳助、御迎へとあるからは恥も恥辱も打捨てて、御息災な御顔ばせ早速お見せ遊ばす筈、それを他人かなんどの様に、お隠し有りしはお両人ながら、ちとお恨みに存じます」とほろりと泣いて語りけり。小松は更なりそばで聞く、お花も面目投首(なげくび)し、「みさをに勤めをさせたのも、元はと云へばわたしが科、もう何事も堪忍して、是れぎり云うて下さんすな。今度国に出世に付き下るは其の身の仕合なれど、あの子もお客の其の内に、逃れぬ中の人がある。どうぞそなたの才覚で国へはよしなに云ひやって、其の男と夫婦にして、お両人を此の難波へ引取る様には成るまいか」と頼めば小松も涙に咽び、「云ふまででは無けれども、海にも山にも譬へられぬ、御恩を受けた此の身なれば、明暮あひたさゆかしさの、体はこゝへ残っても、魂は母さんの懐中へいって居る、是れ程思へど生中(なまなか)に、武士の娘と云ふ事は、うす知りに人も知る、逃れぬ義理にからめられ、難波の土とならねばならぬ、そなたを頼んで置く程に、みさをは気合が悪いとも、死んだとも云うてやり、矢張こゝへ置いてたも、国へはいやぢゃ」と手を合わせ、拝み口説けば柳助は、涙を含む目に角立て、「氏より育ちが恥かしい、派手蓮葉なる身に染り、上の空なる世の習ひ、親の事も故郷の事も、忘るゝ程のお心にはいつお成りなされました。お両人が私をお側へ呼んで仰しゃるには、『浪人で居る中に、髪を下して楽々と法体しようと思うたれど、みさをが戻った其の時に、変り果てたを見るならば、さぞあれが悲しからうと、其の儘居たが今度の幸ひ、早う連れて帰ってたも、柳助様頼みます』と、御家来筋に手をついて、殿様付けるも貴方が可愛さ、待ちこがれて御座る所へ、すごすご一人帰られませうか。お国にはれっきとしたおいひなづけも御座る事、偽り云うたが現はれると、親旦那は御切腹なさる様にならうも知れぬ。花世様も同じ様に鎌倉へ下るのを勧めはなさらいで、こちらで夫婦にしてやり度い、其の者も存じて居る、堂島の米屋とやら十千万両の分限でも、町人へ娘をやり、其の婿の世話にならうと、召返された御主をふり捨て、此の難波へ御座る様なお両方だと思召すか、私が此の様に腹立つるのも、みさを様のお身の上が大切故、あゝかう云ふ事とは御存じ無く、今日か明日かと日を数へ、指を折って待って御座る、母御様の此のお文、御覧なされてとっくりと、御思案なされて下さりませ」ト差出すを
I.L.N.
この人物(Kiusuke)はKomatsuが自分は死んだと報告してくれと懇願し、KomatsuがSakitsiと結婚することも拒絶して、去って行った。彼[Kiusuke]は彼女を自由の身にするための金を調達し、自分の使命を全うすると主張した。
Wofanaが助けに入り、家に戻るのが望ましいけれど、仲人が乙女の所に来て、結婚の申し入れがあったので、ここに残って婚約を完遂するのが希望だと抗議したが無駄だった。Kiusukeを動かすことはできなかった。Komatsuの母が娘を連れて帰るように彼をよこしたのである。彼女自身はMiosanのしたように、隠居し、髪を切り、尼になることを望んでいる。日本のシステムでは人生の後半は宗教的行事に専念するのだ。彼女の父も婚姻契約を全うするという名誉を重んじている。もし失敗したら、自らの人生に終止符を打つという日本の習慣を採用するだろう。
Kiusukeは自分の主張のまとめとして、Komatsuに母からの手紙を渡した。
訳者注:『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』で柳助を最初はRiusukeとしていましたが、その後はKiusukeとなっています。種本と考えられるスネッセン訳では、Riusukeとなっていますから、誤植のようです。
R.T.
小松が手に取り上書見れば、「みさを殿まゐる、母より。此の方ぶじと遊ばせしお筆に年の寄った事、十四の年に大和へ来て、八年拝まぬ親の顔、見たう無うて何とせう、どう云ふ事で今宵にも死病受けた時、母様のなつかしさに、臨終をしそこなひ、如何なる恥をさらさうかと、案じ過しがせらるゝに、親の事忘れたと餘り叱ってたもんな」と文を抱きしめ抱きしめて、消え入る様になげきしが、どうなりこうなり云いくろめ、両人を帰した上での事と、思案定めて涙を拭い、「ほんにさうぢゃ、親に男はかへられぬ、もうさっぱりと思ひ切り、明日は国へ帰らう程に、今宵は今まで心安い人さんに、ゆるゆると暇乞ひもしたければ、其方は戻ってたも」と云えば律儀の柳助は、まことと思い打喜び、「おゝおでかしなされた、しからば明日目立たぬ様駕籠をつらせて御迎へ、イヤさし付けがましい事ながら、なに彼のしはらい置土産、金子の御用も御座るなら、必ず共に御遠慮無う、花世様にはまだいろいろおはなし申す事もあれば、さァお宿まで御同道」と打連立ちてぼつぼつと、何か云いさす襖さす、さすや障子の紙一重、見えざることこそ是非なけれ。袋戸明けて吐息を付き、「小松」「佐吉さん」「これ」と云いさま手を取って、最前忍びし松が枝を、伝うて下りる河岸づたい、両人は其処をはせ去りけり。
上るり 「此の世のなごり夜もなごり、死に行く身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足
づゝに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれかぞふれば暁天(あかつき)の、七ツの時
が六ツ鳴りて、残る一ツが今生の鐘の響の聞きをさめ」梅田橋の鶴澤が月並ざらいのじょうるりも、我が身に似たる二人連、堤の陰を立出でて、佐吉は向うを打見やり、「是れ小松なまなか遠くへ走るより、近くへ隠れて追手の者を、やり過さうと思うたれば、案の定歌川屋の提灯が行き違ひ、花咲屋へも走って来て、戸平もお花も我々を尋ねに出でた様子なれば、其の留守の家へ行き心静かに最期をとげん」と、小松を忍ばせ我一人、花咲屋をさし覗き、「およし、およし夜が更けたに未だ寝ずか」と云われて何の頑是無く、「今宵はとなりのお師匠さんのじゃうるりを聞いて居たれば、小松さんが駈落をさしゃんしたとて迎へが来て、父さんも母さんも、後追うて御座んしたれば、行きたうても留守が無い、さらひをしまうて明日でも逃げさんすればよい物」と云うに佐吉が打ちうなづき、「おれがここに居る程に、聞き度くば聞いておぢゃ」「あいあいそんなら留守して下さんせ」と隣へあたふた走り行く。影見送って小松が手を取り、奥の一間にそっと入り、声もらさじと有り合ふ屏風引廻せば、壁ごしにもれて聞ゆるとなりのじょうるり、
「くも心無き水のおと、北斗はさえて影うつる、星の妹背の天の川、梅田の橋をかさゝぎ
の、橋とちぎりていつまでも、我と其方は女夫(めをと)ぼし」
「あれあの文句はお初徳兵衛、屏風にしたる操(あやつり)の、此の看板も同じ人、所も矢張梅田橋、心中して死ぬ者を、阿房とおれはわらうて居たが、
じょうるり「あやなや昨日今日までも、よそに云ひしが明日よりは、我も噂のかずに入り」死ぬ気に成ったも不思議の縁」ト聞いて小松は泣きだし、「不思議所かほんの悪縁、ひょんなわたしにつながって、何の越度(おちど)も無いおまへを、冥土の闇の道連に、すると思へば勿体無い」
じょうるり「げに思へどもなげけども、身も世も思ふまゝならず」
「成程外の心中は、人を殺すか金銀につまって死ぬが世の習ひ、それに引替へ見受はすむ、おれも百両持って居たれど、犬奴がお陰で棒にふり、それから死ぬ心になったも、恋路に迷ふ煩悩の犬張子をこゝの家ではそなたの恩を忘れぬ為と、お燈明まで上げて置けど、おれは犬奴がうらめしい、よくおのれほえをった、せめて拳で犬張子、われをぶつのもはらいせ」ト何の科無き犬張子を、打倒せば其の内より、まろび出でたる百両包、「ヤゝこれはおれが落した金どうしてこゝへ這入って居たか、是れで其方のいひなづけが頓死でもして終ふと、心中するにはいよいよ及ばぬ、まァそなたの母御の文どう云ふ事が書いて有るか読んで見やれ」とせりたてられ、
I.L.N.
美しく純真な少女はは悲しみにくれた。「私の選んだ道と行いが私の評判を真っ黒にしてしまいました。私は道を踏み外してしまった。でも、まだ[心の]糧のようなものは残っている」と、恋人のSakitsiに最期の別れを言うことに同意した。
しかし、結局、これは恋人のいる前で自らの命を絶つ機会を得るための巧妙な策に過ぎなかった。
訳者注:『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』はこの後、記者の感想が述べられており、まるで『浮世形六枚屏風』のストーリーはみさをの自死で終わっているかのように書かれています。スネッセン訳では原文通りにハーピーエンドまで訳されています。
『浮世形六枚屏風』のこの後の展開は、母の手紙に、国元の許嫁とは「水間宇源太殿の子息島之助」で、罪が許され、消息を探していると書かれていたので、佐吉は小松に「そなたは網干の家中にて、数村亭大夫殿の娘」かと尋ねます。小松がなぜ知っているのかと驚いているところへ、それまで屏風の陰で聞いていた戸平が現れ、死のうとしたのは許嫁への義理からだろうが、そんなことはどうにでもなると止めに入ります。佐吉は、侍同士の小さい時の口約束を変更することはならぬと、まさか昔の浄瑠璃のように首を切ることはないと自分は「高をくくっていた」が、、小松の本心を試すために死ぬふりをしたのだと言う。そして、島之助というのは自分だ、帰参が叶ったことを知らなければ、「町人にて朽ち果てん」と思っていたのだ、小松のお陰だと言います。また、戸平は屋根舟に百両包みが落ちて来たので犬張子に隠したことを告げ、それが佐吉の金だと屏風の陰で聞いたと言います。柳助も一連の話を聞き、「無事を喜ぶ帰参をよろこ」び、ストーリーは「祝儀の上るり」で終わります。帰参後、佐吉は水間島之助に戻り、小松と結婚し、戸平とお花は米屋の跡を継いで、「男女あまたの子をまうけ、目出度き事のみ重なりけり。めでたし[「く」の字の繰り返し符号が6回続きます]」で終わります
スネッセン訳では、Oh! Happy, happy day for Sakitsi and Komatsu!で終わっています。
『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の最終コメント
場面全体は土着の特性に溢れているが、感情の中に人生・真実・精神を込めながら語られている。唯一残念なのは、この物語を進める上で必要な劇的効果を我々の力では与えることができないことだ。しかし、読者がこの物語を時間のある時に熟読しても、興味が減ることはないだろう。そして、この中に紹介されているわずかの歌の詩的美点に公平な評価を下すだろう。また、歌があまりに少なく、短いのを残念に思うだろう。2篇の主要な歌は、ヨーロッパの最も[選択が]気難しい全集に選ばれることは確かだろう。その調子と長所はイギリスよりも東洋のスタイルにより近い。おかしなことに、この物語はいい結果で終わっている。日本の皇帝[将軍]がこの新聞を購読しているというのは栄誉なことだ。彼が『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』で自国の物語を初めて読むかもしれないというのはありえないことではない。
『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の記者はスネッセン訳を最後まで読んだようなのに、新聞読者対象にはみさをの自殺を示唆する終わり方をしているのは、奇妙な国と印象付けたいからでしょうか。
柳亭種彦について
柳亭種彦(1783-1842)の略歴については、甲州武士で浅草堀田原に住んでいた人で、他の作家に比べ「其の家柄が最も高かった」と言われています。その人柄について『柳亭種彦集』(1926)「解題」で以下のように述べられています。
穏やかな柔和な、気品のあるお旗本であったから、他の作者のやうな放蕩癖や高慢癖はなかった。若し彼の癖はと云へば、好古癖であった。曲亭馬琴の考證には、極めて嫌味が多く、物識り振が鼻の先にぶら下ってゐたが、京傳と種彦の好古癖は嫌味がないばかりでなく、風俗史上に有益なる資料であった。((注1), pp.5-6)
種彦の『偐紫田舎源氏』(1829-42)の人気が上がると、天保の改革によって絶版を命じられ、「元来小心の几帳面家であった」(p.17)種彦は心痛し、完結させずに亡くなったとされています。永井荷風が種彦の悩む姿を「散柳窓夕栄(ちるやなぎまどのゆうばえ)」(初出『三田文学』1913、初出時の題名は「戯作者の死」、(注2))で描いて、種彦が奉行所よりお調べがあるので出頭せよとお達しを受け取った後、卒中で突然死したとしています。
1821年—1857年—2019年
『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の記者の最後のコメントは本サイト4-11-2で紹介した1854年2月11月号の記事「『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』が日本に」を指していますが、160年後の自分にも向けられているように感じます。幕末のイギリス・メディアの日本関連記事を探すうちに、『浮世形六枚屏風』を紹介されて読み、160年の隔たりを感じないテーマと視点だと感じました。この物語は専門家から「それほど推賞すべき作ではない」「実にたわいもない物語」((注1), p.32)と酷評されていますが、物語は冒頭から、現代の問題を描いていると思わせるエピソードに溢れていると思いました。14歳の島之助(後の佐吉)が大人の口論を仲裁しようと、論理的な方法で鳥を傷つけずに決着をつけ、その論理を主張したら、パワハラによって追放されてしまったという最初のエピソードや、佐吉が働き過ぎて「気鬱の病」「ぶらぶら病」になるのも現代の過労によるうつ病の増加を想起させます(注3)。
『浮世形六枚屏風』のもう一つの魅力は、『曽根崎心中』(1703)の道行きの有名な地の文「此の世のなごり夜もなごり」を挿入しながら、120年後の佐吉に、心中して死ぬ者をアホウと言わせ、ハッピーエンドにするところです。義理人情に縛られず、個人の自由を主張するところに、21世紀に通じるものを見ます。
『浮世形六枚屏風』が提起している問題と安倍政権下の日本の問題と共通点があると思った事例を紹介します。まず、若者による正論の表明に対するパワハラを想起させられたのが2019年1月21日の事件です。東洋大学の学生が同大の竹中平蔵氏の授業に反対する立て看板を大学前に設置し、ビラをまき始めたら、大学側に止められ、退学処分に該当すると言われたそうです。「授業反対」の理由は、竹中氏が唱えた規制緩和で非正規労働者が増え、大多数の人が不幸になっていることです(注4)。同時期に、非正規雇用に苦しんだ若者(享年32歳)が歌集を出し、出版前に急逝したけれど、その歌集『滑走路』(2017)は「異例のヒットを記録」しているという報道です(注5)。「過労死促進法」と水道民営化への竹中氏の関与については、本サイトでも紹介しました(4-10追記1、追記2参照)。水道民営化については、民営化に前向きだった浜松市が市民の反対で水道運営権売却を延期するといういいニュースが入ってきました(注6)。
環境保護という正論を訴える市民に対する安倍政権のパワハラも大きな問題です。辺野古に米軍基地を建設し、自然破壊を強行する安倍政権は、反対を訴える市民の顔写真と個人情報リストを警備会社に作成依頼し、市民が情報公開を請求したら削除したという報道(注7)です。しかも、基地予定地の地盤はマヨネーズ状だと専門家が警鐘を鳴らしているのに建設を強行していますし(注8)、自然破壊の一部とされているサンゴは「移植した」とNHKテレビで公言した安倍首相の発言が虚偽だったこと、地盤改良工事に2兆円以上かかることを隠していることなど(注9)、次々と深刻な問題が浮上しています。
注