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もっと暗い日々 2-2

イギリスでジャポニズムが起こっていた頃、西洋化に必死な日本人を猿にたとえ、不平等条約の改正を求める日本を「なまいき」だと批判する欧米の動きが同時進行していました。 1916 続きを読む

もっと暗い日々 2-1

ラングのパロディ『もっと暗い日々』(1884)の種本、恋愛スリラー小説『暗い日々』(1884)を黒岩涙香が翻案して『法庭の美人』(1889明治22)として出版し、大ヒットしました。 1901 続きを読む

もっと暗い日々(1)

2023-24年時点で「文明と野蛮の戦争」と称してイスラエルがパレスチナでジェノサイドを続け、アメリカが軍事支援で大量虐殺を支持しているのは、1世紀半前の黒船来航時の欧米の対アジア・アフリカ・中東の帝国・植民地主義のメンタリティと変わっていないように思えます。大英帝国の最盛期にアンドリュー・ラングがパロディア小説で風刺・批判したことが現代の問題につながっています。 1888 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(4)

米空軍の若者がパレスチナのジェノサイドの共犯者ではいられないと抗議の焼身自殺をしたことで、アメリカ内の意見が二分化されました。イスラエルによる更なる爆撃と飢餓で死者数増加が危機的レベルです。そんな中で、国連パレスチナ難民救済事業機関への資金拠出を停止していた国で、再開する国が増えています。ところが、日本政府はジェノサイド支援を続けるかのように、資金拠出を停止したまま、ジェノサイドを止めさせる努力は一切しません。 1867 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(3)

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員がハマスによる攻撃に関与したとイスラエルが主張したら、証拠がないのに欧米諸国がUNRWAに対する資金を停止し、ジェノサイドを加速するに等しい制裁に日本までが参加しました。戦争犯罪の共犯者になる可能性があると指摘されています。 1838 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(2)

イスラエルのガザ攻撃についての続きです。1807 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(1)

2024年の幕開けは日本では元旦の16時10分にマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」が起こり、中東のパレスチナ・ガザ地区では2023年10月7日から続いているイスラエルによる爆撃が新年早朝に行われました。かたや自然災害、かたや人間による無辜の民の殺戮です。1776 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-3)

神戸事件(1868年2月)当時、24歳だったアーネスト・サトウと30歳のミットフォードが欧米の「傍若無人の行動」を主導した立役者だったことを見ます。 1761 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-2)

神戸事件(1868年2月)が起こった背景には、欧米列強が1868年1月1日に強硬に神戸開港・大阪開市をし、その直後の鳥羽伏見の戦いで攘夷の維新政府軍が勝利したことがあります。 1756 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-1)

万延元年遣米使節が集団ハラキリをするかもしれないという記事が1860年の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載され、その約160年後に再びNYTで「集団切腹」という語が報道されました。一方、1868年2月にNYTが「欧米列強による聖なる国への侵略」と伝えた神戸事件、その1ヶ月後に欧米列強が維新政府に「集団処刑」を求めた堺事件が起こります。 1737 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-1)

万延元年遣米使節団が滞米中に伊井大老暗殺のニュースが報道され(1860年6月)、新聞紙上で使節団に伝えるべきかの議論が起こります。 1728 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-5)

咸臨丸のサンフランシスコ到着を伝える『ニューヨーク・タイムズ』(1860年4月17日)には中国人を奴隷として欧米の植民地に送る「クーリー貿易」も伝えられ、日本からの使節団を迎える時にアメリカの恥だという趣旨の社説が掲載されます。 1715 続きを読む
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