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記事

英米に伝えられた攘夷の日本(4-2)

1850年10月にイギリス戦艦が琉球に行き、宣教師の処遇改善を要求します。琉球側に要求をのませるには、武力の示威が有効だと考えていることも伝えられています。 700 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(4-1)

ペリー来航3年前の『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に、アメリカが中国と日本に戦争を仕掛けるかもしれないという長文記事が掲載されています。 696 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(3-4)

サン・フェリペ号事件の背景にあった、日本をめぐるポルトガルとスペイン、イエズス会士とフランシスコ会士などの托鉢修道士との確執を見ます。 689 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(3-3)

日本におけるキリシタン迫害の元凶とされる1596年のサン・フェリペ号事件がどう伝えられているか、同時代人の証言と、明治時代に日本で伝えられた解説を見ます。 672 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(3-2)

セシーユ提督率いるフランス艦隊が1846年に長崎に来航し、日本でカトリックの布教が始められるという期待からか、「日本の布教」と題する長い文章が『1849年の伝道年報』に掲載されます。 656 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(3-1)

1840年代にはフランスのカトリック教会が日本進出を狙う様子が「伝道協会」刊の報告書から読み取れます。イギリスの軍事力で日本にも開国を迫れという調子の文章がカトリック神父の報告書に書かれています。 649 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(2-4)

1854年10月14日に長崎で「日英約定」が調印された後、宴が催され、その様子を『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』は克明に伝えています。驚くべきことは、日本の役人達が『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』を持っていて、耳で聞いていたイリギスのニュースをこの新聞の銅版画で確かめたいと、イギリスの士官たちに尋ねたことです。 641 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(2-3)

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』には日英約定署名(1854年10月14日)までのの交渉の様子が書かれていますが、これはイギリス側の準備不足やコミュニケーションの問題が逆にいい結果を生み出したと指摘されています。 639 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(2-2)

下田で3回目の日露交渉が始まる3カ月半前にイギリス艦隊が長崎に来航します。『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』でどう伝えられているでしょうか。クリミア戦争との関連からも見ていきます。 637 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(2-1)

1853年の最初のペリー来航の記事の後に『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に掲載されたのは、クリミア戦争でロシアに宣戦布告したイギリスは、日本に進出しているロシアを追い出さなければいけない、第2回目のペリー来航でアメリカが達成したことをイギリスも追わなければいけないという論調の記事(1854年9月)です。 634 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(1-5)

ペリーは幕府側に、中国で反乱があり、南京が占拠されたと言いかけて、幕府の役人から「反乱の話をしない方がよろしい」と諌められたのですが、太平天国の乱は同時代人のイギリス人からどう受け止められていたのでしょうか。 625 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(1-4)追記

2016〜2017年の日米関係が「黒船トランプ?:日本はNOと言えるか」とアメリカのメディアに評されています。 604 続きを読む
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