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ラングの「未開人」論(2)
植民地・帝国主義時代のイギリス。美術に関心のある中流階級の読者に向かって、ラングが「未開人の芸術I—装飾芸術」(1882)の中で議論を展開します。「最下等の人種」と当時みなされていたオーストラリアのアボリジニの芸術を、これほど丁寧に詳細に観察し、材料のせいで直線形の模様が多いのだと、自分の子ども時代や彼の故郷のスコットランドと比較しながら分析するラングの眼差しに心を打たれます。 485 続きを読む
ラングの「未開人」論(1)
彼の一貫性の表れだという視点から、ラングの未開人論を辿ってみたいと思います。「未開人」と訳した語は”savage“で、「野蛮人」という意味もあります。日本語の「未開人」は今では差別用語とされていますが、19世紀の植民地時代には植民地の先住民族をこの語で呼んでいました。 481 続きを読む
ラングとThe Magazine of Art
The Magazine of Artという雑誌は1878年創刊で1904年まで続きましたが、1881〜1886年に詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley: 1849〜1903)が編集長として担当した時期に変貌を遂げ、中産階級の美的センスに多大な影響を与えたと評されています。それは美術分野だけでなく、詩、散文、批評、考古学、民俗学なども含め、定期的な執筆者にはヘンリーの友人であったロバート・ルイス・スティーブンソンもいます。ラングも頻繁に寄稿しています。 426 続きを読む