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英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-4)
万延元年遣米使節の訪米中(1860年)に奴隷貿易の問題が頻繁に報道され、奴隷制反対の大議論が米国議会で行われていました。使節の中には帰路に寄港したアフリカ西海岸で鎖に繋がれた奴隷を見たことを日記に記した人々もいます。 1703 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-3)
「万延元年遣米使節」(1860)のためにニューヨーク市議会は大規模なパレードと歓迎式典を企画しましたが、その経費や運用について批判が起こり、ニューヨーク市を告訴した市民もいました。日本使節団は帰国前に警護した警察へ多額の寄付をしました。 1692 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-2)
英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-1)
英米に伝えられた攘夷の日本(8-1)
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-2-2)
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-2-1)
幕末の日本を訪れた欧米人が一様に日本の市井の人々と子どもたちが幸せそうだと伝えています。訪日したことのないアンドリュー・ラングは北斎漫画に「西洋の子どもより幸せそうな日本の子どもたち」を見ました。 1551 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-1-8)
『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』(ILN)が日本に戦争をしかけろと煽るような社説を掲載する一方、アメリカ・メディアは鹿児島砲撃に対して激しくイギリスを非難します。また、ILNでは暗殺されたイギリス人士官の加害者である攘夷の志士の公開処刑の様子を度々伝えています。 1441 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-1-7)
イギリス軍の鹿児島砲撃に対する反対決議案を議論した1864年2月9日のイギリス下院の最後のスピーカーは第一次・第二次アヘン戦争を推進したパーマストン首相で、反対決議案を撤回しろと迫ります。 1437 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-1-6)
1864年イギリス議会下院で鹿児島砲爆の正当性を訴える外務副大臣が、1816年から63年までの欧米諸国による無防備な町への砲撃の例を挙げて、非戦闘員市民の住む町を砲撃するのは文明国に認められた戦争の慣行だと主張し、議場から「他国の悪行の羅列は自国の悪行の正当化にならない」とヤジが飛びました。 1423 続きを読む
英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-1-5)
薩英戦争の責任を追求された外務副大臣が弁明しますが、砲撃の証拠として出された『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の銅版画の信憑性が疑わしいと言い、新聞社側が社説で怒りを表します。19世紀版フェイク・ニュース論争です。 1408 続きを読む