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2024-08-11

もっと暗い日々(1)

2023-24年時点で「文明と野蛮の戦争」と称してイスラエルがパレスチナでジェノサイドを続け、アメリカが軍事支援で大量虐殺を支持しているのは、1世紀半前の黒船来航時の欧米の対アジア・アフリカ・中東の帝国・植民地主義のメンタリティと変わっていないように思えます。大英帝国の最盛期にアンドリュー・ラングがパロディア小説で風刺・批判したことが現代の問題につながっています。

2023-24年のイスラエル・アメリカ

 2023年10月7日に始まり、2024年5月現在まで続いているイスラエルによるジェノサイド(ガザのパレスチナ人を大量虐殺)は、19〜20世紀の欧米による植民地主義と帝国主義が21世紀現在も続いていることを見せつけています。特にそのイスラエルへ軍事支援を続けるアメリカ政府はイスラエルによるジェノサイドの共犯者ですが、それに対してアメリカの大学生たちが立ち上がり、平和的な抗議デモがアメリカ全土の40大学(2024年4月末時点)からヨーロッパやオーストラリアの大学にまで広がっています。多くの大学当局は、抗議デモに参加する学生たちを停学処分にし、警察を導入して逮捕させています。機動隊が囲むキャンパスの外から学生たちを応援している人々をDemocracy Now!のエイミー・グッドマンがインタビューし、「キャンパスの弾圧:コロンビア大学とニューヨーク市立大学のガザ連帯・抗議デモ・テントを撤去するために警察が300人以上逮捕」(2024年5月1日、(注1))という記事にしました。インタビューの対象者はニューヨーク市立大学の卒業生だという若い女性です。

私はコリアン・アメリカン一世です。恥ずべきニューヨーク大学の卒業生です。私の民族的ルーツがグローバル・サウス[第三世界]ですから、植民地主義(settler colonialism)に反対しています。なぜなら、植民地主義はどんな形であれ、殺すことですから、私たちは共犯者ではいられません。これは非常に歴史的な瞬間です。この国の若者が革命を主導しているのです。

 母校を「恥ずべき」と言ったのは、大学側がデモ鎮圧に警察を導入したからでしょう。民族的ルーツがコリアンということは、日本の植民地時代の犠牲者の子孫でもあります。ガザのジェノサイドを19〜20世紀の植民地主義の続きで、人種問題でもあり、「グローバル・サウス」という表現で、移民国家アメリカの複雑さを物語っているようです。

1884-85年のラングの主張

 2024年とアンドリュー・ラング(Andrew Lang: 1844-1912)が最初のパロディ小説『もっと暗い日々』(Much Darker Days, 1884:明治17)と創作フェアリーテール『まさにあのマブだ』(That Very Mab, 1885: 明治18)で風刺・批判したことが重なると思えるので、140年前の何がラングにこの2作を書かせ、痛烈な帝国・植民地主義を批判したのか探ります。

 多彩・多作のラングの足跡を網羅することは不可能だと考えられていたことを、没後100周年の記事(2012年1月30日)を抄訳して紹介しました((注2): https://www.andrewlangessays.com/andrew-lang2 参照)。それから約10年後の2023年に、詳細な評伝が出版されました。まさか、私の生きている間にこのような伝記が出版されるとは想像もしていなかったので、嬉しい驚きでした。『アンドリュー・ラング—作家・民俗学者・民主的知識人』(2023, (注3))の著者ジョン・スローン(John Sloan: 1948-)はラングと同じくスコットランド出身、オックスフォード大学卒業、そしてラングがしばらく教鞭をとっていた同大のベリオール・カレッジでスローン氏も教鞭をとって、現在オックスフォード大学名誉フェローです((注4))。
この評伝の「序文」で以下のように述べています。

ラングの名前で次々と現れる本と論文の多様性とスピードは不気味と言っていいほどだった。アカデミックの世界と文学分野では「アンドリュー・ラング」という名前は実在の人物ではなく、複数の作家のシンジケート、あるいはブランド名だというジョークになった。G.K.チェスタートン(G.K. Chesterton: 1874-1936)はラングを「一種のインドの千手観音」と喩えた。

 この評伝は「ラングの私生活とプロのキャリアについて率直で完全な記録」だと自賛しながら、スローンはラングが伝記作家にとっていかに困難な人物かを説明しています。ラングは「最も用心深い、私生活を秘密にする人で、(中略)ほとんどの手紙は受け取って読むとすぐに焼却し、自分の死後、個人的な書類は破棄するよう妻に指示した」(p.9)そうです。未亡人は忠実に守るために姪の助けを借りて書類を破ったせいで、数週間手首が痛かったと苦情を言ったそうです。それでも、ラングの手紙や書類の数千点は受け取った側が保管しており、利用できたそうですが、次の難関は彼の筆跡が判読不可能だったことだと述べています。特に40歳を超えた頃からの筆跡は、「クモの巣ような筆使いとダッシュ」に悪化していたが、忍耐強く付き合い、慣れによって判読できたそうです(p.10)。

39歳でオックスフォード大学のレジェンドになったラング

 1884-5年のラングの出版物から見えてくることを検討したいのですが、その頃、母校のオックスフォード大学の学部生の間では、ラングの名前はレジェンドだったとスローンが紹介しています。1883年2月にオックスフォード大学の雑誌『オックスフォード・マガジン』にラングに対して敬意を込めたパロディ詩が掲載されました。大学内でレジェンドとして知られるようになった39歳のラングです。

新入生よ、その人は誰かと聞くのかい(You ask me, Freshman, who it is)
韻を踏む詩を書き、研究をし、書評を書く、(Who rhymes, researches, and reviews,)
時に聖書の創世記のような文章を書き、(Who sometimes writes like Genesis)
時に『デイリー・ニュース』紙に書き;(And sometimes for the Daily News;)
天使が使う言葉で遊び、(Who jests in words that angels use,)
最も下品な言葉で最も厳粛になれる人(And is most solemn with most slang)
それは誰—誰のどれ—そして、どれが誰?(Who’s who—whose which—and which is whose?)
それはアンドリュー・ラング以外にない。(Who can it be but Andrew Lang.)(p.143)

多彩さが開花した1884年

 1884(明治17)年はラングの多彩さ・多才さ(versatility)が最初に開花した年と言えるかもしれません。1884年の著作物を分野別にみると、民俗学、神話学、民族学、フランス文学、創作パロディ小説、創作フェアリー・テール、詩作など多岐にわたります。それらが有機的に関連し合い、パロディ小説『もっと暗い日々』で同時代の世界情勢とイギリス国内の事件などを絡ませたパノラマ的文明論に集結されていると読めます。

 ラングのパロディに読み取れることは、約140年後の現在(2023-24年)の世界で起こっていることの批判とも思える、つまり、ほぼ1世紀半後の世界がラングの時代と変わっていないように思えることです。変わっていないどころか、技術の進歩によって、140年後の現在はもっと残酷な世界になっているのかもしれません。例えば、人工知能AIの戦争での使用です。イスラエルがガザでの戦争で標的選定に10%の誤差が出るAIを使い、「軍はハマス幹部1人を殺害するのに百人以上の民間人が犠牲になる攻撃も許可した」と当事者たちが証言しています。しかも、「AIは対象人物が帰宅した時点で通知する仕組みで、同居する妻子らに多数の犠牲者が出た」というので、イスラエル軍は意図的に女性と子供を標的にしたと言えます。「幹部は病的な興奮状態」で「もっと標的(の情報)をよこせ」と要求した」(注5)と証言されていますから、イスラエル軍に限らず、戦争をする人々は同様に「病的な興奮状態」になって、大量虐殺にAIを使うことが予想されます。現在の自民党政権と支持者たちが狙っている「戦争のできる国」作りを止めるためにも、140年前にラングがどんな警鐘を鳴らしたのか検証する価値はあると思います。

 1884年に彼が発表した著作物を通して、さらにはそれまでのラングの著作から見えてくる彼の文明観、価値観などを探ろうと思います。1844(天保15)年3月31日生まれのラングが40歳の年に発表したのは、主に以下の作品です。「主に」というのは、この他に詩集も2冊出版しているのですが、それが過去に発表した詩を集めた本ということで除外しています。

  • 研究書:『習慣と神話』(Custom and Myth , 312頁)
  • 解説:『グリムの家庭の物語』(Grimm’s Household Tales. With the Author’s Notes translated from the German and edited by Margaret Hunt. with an Introduction by Andrew Lang in two volumes)の解説「家庭の物語:その起源、伝播、高等神話との関係」(Introduction. Household Tales; Their Origin, Diffusion, and Relations to the Higher Myths, 60頁)
  • 解説:『モリエールの「才女気取り」』(Molière’s Preciouses Ridicules, with Introduction and Notes by Andrew Lang)の編集と解説「モリエールの生涯、フランス喜劇の発展、モリエールの時代の喜劇演劇、『才女気取り』解説」(46頁)
  • 創作フェアリーテール:The Princess Nobody: A Tale of Fairyland
  • パロディ小説:『もっと暗い日々』Much Darker Days(111頁)

ペンネームによるパロディ小説『もっと暗い日々』

 スローンによると、1年間にこれだけの作品を出版したので、気分転換のために、ラングはその頃流行っていたベスト・セラー犯罪小説、ヒュー・コンウェイ(Hugh Conway本名はFrederick John Fargusフレデリック・ジョン・ファーガス: 1847-1885)の『暗い日々』((注6))のパロディ小説『もっと暗い日々』を書きました。コンウェイは第一作目のスリラー小説Called Back(1883)がベスト・セラーとなり、流行作家となっていました。ラングはこれらの小説を「どうしようもなく酷い」(‘desperately bad’)「看守のいない完璧な精神病院」(‘perfect lunatic asylums without keepers’)と評して(p.157)、『暗い日々』の出版後数週間で『もっと暗い日々』を執筆・出版しました。

 作者名をA. Huge Longwayとして出版されましたが、Saturday Reviewの編集者ウォルター・ポロック(Walter Pollock: 1850-1926)は作者が誰か推測できたそうです。編集会議でラングに書評を書くように本を渡すと、ラングの顔にさまざまな表情が現れ、ついに笑いながら本をテーブルに投げ出すと、「僕が書いたって知ってるんだろう!」と言ったそうです(p.157)。そして『パンチ』(1884年12月13日号, p.282, Punch, vol.86-87, 1884
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.hnv1x7)に「誰が『もっと暗い日々』を書いたのか?もちろん、メリー[愉快な]・アンドリュー・ラング氏だ」(Who Wrote Much Darker Days!—Mr. MERRY ANDREW LANG, of course.)という短いコラムが掲載されました。この後にラングがスコットランド訛りで話すことをからかう文章が続いています。

 この評伝の中でスローンはコンウェイの反応について見逃したのか言及していませんが、この種本とラングのパロディの関係について、出版当時の書評士は以下のように述べています。

 『暗い日々』の成功はその当然の影響物として、パロディ作品をいくつか生んだ。(中略)『もっと暗い日々』は「呪い(登録済み)」と題された第1章を含め、非常に笑える。しかし、ヒュー・コンウェイ氏には笑い事ではないようだ。(中略)彼は『もっと暗い日々』の出版社に弁護士の手紙と共に自分の手紙も送り、最高に抑制のない表現で冒涜的な行為を非難した。もしコンウェイ氏にユーモアのセンスがあったら、この無害なジョークを楽しめただろう。称賛の最も誠実な表し方は物真似だと言われていることをコンウェイ氏は聞いたことがあるに違いない。彼に常識があれば、パロディは人気のある物事が受けられる最高の称賛の一つだとわかるはずだ。(『ハーパーズ・ウィークリー』1885年1月17日号, p.46, (注7)

 常識もユーモアのセンスもないと批判されたヒュー・コンウェイが前年に出版した小説Called Back(1883)が「驚異の35万部も売れ、その年の出版界のセンセーションだった」(注8)こともラングのパロディ化の対象だったのかもしれません。不運なことに、コンウェイは1年後の1885年に腸チフスで、37歳という若さで亡くなります。

 『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』(1885年5月30日号、(注9))の訃報記事「”Called Back”の作者」(p.559)は以下のように述べています。上の写真はこの訃報記事に掲載されました。

 「ヒュー・コンウェイ」という名前はベスト・セラーの物語を出版したクレバーでオリジナルな作家を意味し、多くの読者に親しまれている。フレデリック・ファーガス氏の早世は非常に惜しまれた。もし健康に恵まれていたら、さらなる文学作品を書き続けたことだろう。彼は肺病に襲われ、イギリスの冬の悪天候を避けるようにという医師のアドバイスで、リビエラのモンテカルロに滞在中、今月15日に亡くなった。

ラングは何を風刺しようとしたのか?

 スローンは評伝の中で、ラングのパロディが「重婚と殺人と独特のタイプの狂気」の物語という評価を与えています。ラングが『暗い日々』の風刺を書こうとした理由の一端は『もっと暗い日々』の序に表されています。

現在のクリスマス・フィクションはその調子があまりに陽気で、構成はあまりに芸術的、動機は独創的すぎるという思い込みが、中流階級の生活に関するこの物語の作者を発奮させた。作者は遺憾に思うような間違いは逃れたと信ずるし、より時宜を得た、扇情的なスタイルの物語の模範を示したと信ずる。(注10)

 
 「現在のクリスマス・フィクションはその調子があまりに陽気」と述べた点は、『暗い日々』がクリスマス休暇用に出版された娯楽目的の恋愛ミステリーで、表紙に出版社のクリスマス特集(Arrowsmith’s Christmas Annual)と印刷されていることです。また、『もっと暗い日々』の最後のページに、語り手が新聞に「告白」を述べ、「私は深く反省し、今後二度と無思慮な公衆にこのようなとてつもなく馬鹿げた、病的で支離滅裂なクリスマス小説を提供することはしません」と締め括っています。この自己評価が種本『暗い日々』の評価とも読めてしまいますから、ヒュー・コンウェイが怒りの抗議文を出したというのも肯けます。
 『暗い日々』は恋愛ミステリーと称されるカテゴリーの小説です。その「調子があまりに陽気」とラングが受け取った理由の一つは、失恋で始まる物語がハッピーエンドで終わる最後のページの文章のようです。

An English home. Outside, green shaven lawns, trim paths, and fine old trees. Inside, the comfort and the peace which make an English home the sweetest in the world.(p.178)
イングリッシュ・ホーム。外は刈り込まれた緑の芝生、手入れされた庭の小道、美しい木々。内にはイングリッシュ・ホームを世界一の素晴らしいホームにしている心地良さと平和がある。

 ラングが選んだペン・ネームも風刺でしょう。深読みすれば、当時のイギリスが「心地良さと平和」な国に本当の意味でなるまでには「膨大な長い道のり」(huge longway)があると示唆しているのかもしれません。1884年は大英帝国の全盛期で、中・上流階級のイギリス人にとっては、母国には「世界一の素晴らしいホームにしている心地良さと平和がある」と豪語する素晴らしい国だったのでしょう。しかし、彼らの目に見えないところでは、アフリカやアジア、中東などに侵略戦争をして、奴隷貿易と「自由貿易」によって「野蛮な国々」から搾取して世界一豊かな「文明国」になっていたわけです。ですから、イギリスには「世界一の素晴らしいホームにしている心地良さと平和がある」と単純に述べるイギリスの中流階級を徹底的に風刺する意図も窺えます。

 『もっと暗い日々』という題名にも、実際のイギリスは「もっと暗い」のだというラングの主張が見られます。コンウェイが同時代的背景を一切無視していることにもラングは苛立っているようです。表面的には「重婚と殺人と独特のタイプの狂気」の単純な物語と読める『もっと暗い日々』には、多くの固有名詞(地名、人名、会社名)に込められた当時の大英帝国の世界戦略と、人物設定によって浮かび上がるヴィクトリア朝時代の社会のおぞましい姿が見られます。当時の読者には一つ一つの固有名詞が持つ意味がわかっていたからこそ、「非常に笑え」たのでしょうが、140年後の私たちには、それぞれの歴史的背景などを探っていかない限り、なぜこの地名なのかの深い意味は見えてきません。さらに言えば、当時の読者が「非常に笑える」ことは、140年後の現在と比較すると、現在世界的に台頭し始めている極右思想の人々には「非常に笑える」としても、歴史認識や女性差別を含めた人権意識のある人々には、あまり変わっていないことに慄然とさせられる側面もあります。『もっと暗い日々』の重層性にラングの凄さを感じ、この作品は注目を浴びていいと思わされます。

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1 “Campus Crackdown: 300+Arrested in Police Raids on Columbia & CCNY to Clear Gaza Encampments”, Democracy Now!, May 01, 2024
https://www.democracynow.org/2024/5/1/columbia_university_israel_gaza_police_raid
2 Stuart Kelly, “Andrew Lang: the life and times of a prolific talent”, The Scotsman, 30 January 2012.
https://www.scotsman.com/heritage-and-retro/heritage/andrew-lang-the-life-and-times-of-a-prolific-talent-2462533
3 John Sloan, Andrew Lang: Writer, Folklorist, Democratic Intellect, Oxford University Press, 2023
4 ”Andrew Lang: Writer, Folklorist, Democratic Intellect, Author: Dr John Sloan”
https://www.thenile.co.nz/books/dr-john-sloan/andrew-lang/9780192866875
5 「『10%の誤り』知りながらAI活用か ガザ、民間人被害が拡大 イスラエルのネット雑誌報じる」『産経新聞』2024/5/7
https://www.sankei.com/article/20240507-KYWM3F4BDFNM5GZTQXLQISQKEA/
6 Dark Days, 1884, Hugh Conway (F.J. Fargus), Dark Days, Arrowsmith’s Christmas Annual, 1884, Bristol, J.W. Arrowsmith
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc2.ark:/13960/t06w9cm33
7 Harper’s Weekly, vol.29, 1885, Hathi Trust Digital Library.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015012334440
8 ”Hugh Conway”, Harper Collins Publisher,
https://www.harpercollins.com/blogs/authors/hugh-conway
9 The Illustrated London News, Vol.86, Jan.-June 1885, Hathi Trust Digital Library.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=chi.44574574
10 A. Huge Longway, Much Darker Days, London, Longmans, Green, and Co., 1884. Hathi Trust Digital Library.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=nyp.33433074872775