馬場辰猪が25歳の留学生としてイギリスで出版した2冊の本で、治外法権問題の例として、イギリス人による13歳の日本人少女の強姦事件をとりあげて批判しました。1世紀半後の現在、米兵による性暴力事件が頻発していますが、自民党政権は隠蔽し続けています。
第2回イギリス留学時代:1875(明治8)年6月〜1878(明治11)年3月(注1)
馬場辰猪は第一回英国留学中に日英条約の不平等性を訴える本The English in Japan(『日本における英国人』, 1875明治8)、The Treaty between Japan and England(『日英条約論』, 1876)を出版しました。その前後に前節で紹介した「社会科学の促進のための全国協会」ブライトン大会でも、治外法権を非難しました。その翌年イギリスの著名な週刊誌『イグザミナー』(The Examiner)に“Sir Harry S. Parkes’s Notification in Japan(ハリー・パークス卿の告知, 1876.04.15)と題した投稿記事で、同じく日英条約の不平等性を訴えました。
辰猪はその3年前に同じ出版社からAn Elementary Grammar of the Japanese Language(『日本語文典』,1873明治6)を出しています。こちらは版を重ね、この本で日本語を学び、後に日本史の本を出して、日露戦争(1904-1905)前後の黄禍の時代に日本を評価した貴重な人物アーサー・ディオシー((Arthur Diósy:1856-1923)が現れました。この関係については、後に紹介します。『日本語文典』を出版した時の辰猪は23歳でした。
土佐藩の留学生だった辰猪がイギリス留学に赴き、わずか2年後の25歳の時から英語で日英関係の不平等性をイギリスで訴え続けた事実を知ると、150年以上後の日本政府の振る舞いに愕然とします。現在の日本は、日米地位協定で治外法権に苦しみ、独立国家とは到底言えない状態でありながら、外務省も自民党政権も何もしないどころか、国土と国費と住民の命までも米軍に貢ぎ続けています。
『日本における英国人』(1875)
不平等条約を激しく非難している『日本における英国人』から見てみます。これは岩波『馬場辰猪全集』のB6判サイズで19ページの長さで、英語では「パンフレット」と呼ばれています。このパンフレットを読んで感嘆するのは、弱冠25歳の日本人青年が大英帝国に一人で立ち向かい、文明国であり、キリスト教国のイギリスよ、弱小国の日本をいたぶるな、平等に扱え、独立国家だと認めよ、13歳の日本人少女を強姦するな等々と訴えたことです。内容があまりに激しいイギリス批判なので、よくロンドンの出版社が出してくれたと不思議に思いましたが、辰猪の日記(1875年9月24日)に、トリューブナー社からきた手紙に、このパンフレットは著者には金銭的負担であり、出版社には「迷惑」(annoyance)だと書いてあったとあります。「それでも出版する」(Still going to publish it.(注2), pp.190-91)と続けていますから、自費出版でトリューブナー社が出版を引き受けてくれたことがわかります。
導入部分でイギリスに対する賞賛から始めて、批判へと筆を進める文章力に感嘆したので、抄訳します。
私は小さい時に英語を教える学校に通い、友人からイギリス・ロンドンは日の沈まない帝国であること、キリスト教文明の中心地で隣人を愛せと教えられている国であること;イギリスの法律では全ての人間が平等に扱われること;商業は最も尊敬される人々によって行われていること;イギリス商人が行く国は恵まれている!と聞いた。このような国の商人が日本に来て、開港地に定住している。これらの話を聞いて、どんなに嬉しかったことか。
大人になってから日本の開港地2,3箇所で知り合ったイギリス人を通して見えてきたこととは大きく違っていた。(中略)彼らは日本に金儲けや、騙すために来たのではないと言う。日本に文明を与えに来たと言う。しかし、これら高貴な心の慈善家がしていることを見よ。日本の経験のない人々からむしり取り、無知な者を騙すのに遠慮などしない。例えば、日本と中国の戦争から富を得ようとするイギリス人がたくさんいる。この2国の間の流血と悲惨から利益を得ようと望んでいる。(中略)
彼らが我が国を騙し、我が国を犠牲にして自分たちの利益を進める時、彼らは良心の仮借など感じていないようだ。それどころか、「日本人は本当に青二歳だ」と言って、自分たちの詐欺を自慢して笑う。((注3), pp.111-113)
台湾出兵(1874)
「日本と中国の戦争から富を得ようとするイギリス人がたくさんいる」というのは、「台湾出兵」と称される「1874年の清国領台湾への出兵事件」で、発端は1871年に琉球船が台湾に漂着して、乗組員54名が殺害されたことでした。日清交渉が進まず、日本政府は74年2月に出兵を計画しましたが、英米の反対と政府内の木戸孝允の反対で一時中止し、74年2月に設置された台湾蛮地事務局の西郷従道(つぐみ地:1843-1902)の「強硬意見で5月には長崎を発進、翌6月現地の抵抗を排除して平定」しました。10月に参議大久保利通(としみち:1830-1878)を「北京に派遣, 駐清イギリス公使ウェード(Thomas Wade: 1818-1895)の斡旋で和議が成立」し、清国が難民撫恤[ぶじゅつ:あわれみ、いつくしむ]銀10万両と出兵補償費40万両を支払い、12月に撤兵しました((注4), p.717)。
『日英条約論』(1876)でも台湾出兵事件について、以下のように述べています。
台湾問題を例にあげる:
この問題が日本によって取り上げられるまで、あの島の野蛮人の行為に誰も責任を取らなかった。我々が誤った情報を与えられているのでなければ、ヨーロッパ人数人が中国政府の曖昧な回答に苦しめられた。中国政府は台湾で起こることの責任に関してそうするのが常だ。しかし、我々はこの責任問題を非常な負担をおって解決した。中国政府は将来、台湾で起こることの責任はないと言わなくなるだろう。((注5), pp.25-26)
この頃、駐日イギリス公使はまだパークス(Harry Parkes: 1828-1885)でしたし、英公使館の日本語書記官アーネスト・サトウ(Ernest Satow: 1843-1929)も日本で活躍していました。この事件をパークスはイギリス外務省に以下のように報告しました。
日清両国間に紛争をひきおこすおそれのある事件が突発した。日本は士族階級をなだめるために、台湾の原住民を懲罰する遠征軍を派遣しようとしている。この原住民なるものは、すくなくとも遠征の名目上の目的を提供しているが、真の目的は台湾の一部の獲得である。(中略)清国側がこの遠征を清国領土にたいする侵略と見なす場合、イギリスの船舶は、危険、ことによったら戦闘行為に参加する危険を犯すことなしに、輸送に従事することはできない。(1874年4月7日付、(注6), p.133)
また、アメリカ公使ビンガム(John Bingham:1815-1900) は「台湾全土が清国の領土であるという立場から、台湾遠征を清国に対する敵対行為とみなし、かかる目的のために日本側がアメリカ船舶(ニューヨーク号)と三人のアメリカ人(ル・ジャンドル、カッセル、ワッソン)を雇傭したことに抗議し、これを阻止する決意を表明した」((注6), p.134)ため、日本政府は「台湾遠征の延期を決定」(p.135)しました。
パークスが日本の遠征軍派遣の理由が「士族階級をなだめるため」と本国に伝えていたことと、西郷従道(陸軍中将・台湾蕃地事務都督)が「強硬意見」で遠征延期に反対した理由が「士気を鬱屈せしめ、其の禍、恐らくは佐賀事変(佐賀の乱)[1874年2月]の比にあらず」(p.137)と述べたことが重なります。そして、西郷とは別に「参軍の谷干城(たてき:1837-1911、陸軍少将)と赤松則良(のりよし1841-1920、海軍少将)が、約千名の兵をひきい、四艦に分乗して、台湾南端の射寮(しゃりょう)に向かった」ため、「既成事実の追認」という形で、政府は台湾遠征の実施を決定しました(p.138)。台湾の原住民による琉球漁民の殺害が原因だったにしても、軍部の暴走という点では、満州事変(1931)で陸軍部隊の満州駐留軍だった関東軍の暴走を思い起こします。
『日本における英国人』と『日英条約論』で取り上げた強姦事件
『日本における英国人』(1875)と『日英条約論』(1876)で共通して取り上げた治外法権の例として、イギリス人による13歳少女の強姦事件があります。まず辰猪が『日本における英国人』で何を書いたか該当箇所を抄訳します。
ここに書くのも憚られるイギリス人が犯した深刻な残虐犯罪がある。最近13歳の少女にイギリス人が激しい暴行(violent outrage)を働いた。娘や姉妹を持つ人に想像してもらいたい。彼女の道徳が犯され、貞操が傷つけられ、残酷で冷血な犯罪で彼女が強姦されたら、どんな感じがするか、どんなに憤慨するか。こんな恥辱を受けるくらいなら娘や姉妹は死ぬと彼らはわからないか? 13歳の日本人少女はこのような扱いを受け、彼女の未来を永久に破壊され、悲惨さと恥辱に貶められ、時も状況も記憶から消し去ることができない。これ全てが一人のイギリス文明人の手によってなされた;これが啓蒙的クリスチャンの仕業だ! 彼女の両親はイギリス人の両親が娘を愛するのと同じく愛している。我々の習慣や慣習がどんなに違っていても、人間の心に刻まれた愛という普遍的感情には違いはない。私はこの文を読む全ての人に尋ねる。このような残酷さと恥辱に苦しめられた人の感情を思い描いて欲しい。
これらの人々は彼らを厳しく罰すべき政府が無力だと知っているので、好き勝手をする。(中略)私はこれらの事実を、私が昔思っていたことが誤りだったと私自身が騙されたことを示すために述べた。我が国にいるイギリス人がすることとイギリスの本に書かれていることにわずかでも似たことがあるかわかるか?
単に相手国が自分より弱いからという理由で、他国からありとあらゆる譲歩を強制することが国として名誉あることなのか?偉大な国が友好関係にある、少なくともそう彼らが言う国の無知を利用することは正当化できるのか?(中略:宣教師について)イギリスが他国の領土に入り込んで、その国の法律と慣習を犯すことを喜びとしているのは、正義と平等と合致する行いか? イギリスの法律は正義と平等で有名で、イギリス人はそれを非常に誇りにしているではないか。
この国の人々にこのような腐敗と絶望を起こしていることは、外国で友好関係と人類愛を確立するというイギリスと合致しているのか?これら全ては宗教のあらゆる教義に反する、あらゆる正義の原則と人類の感情に反する。もしイギリス人が言うように、我々と友好関係を維持したいなら、完全な平等のもとに我々のところに来るべきだ。我々が彼らにしてほしいのと同じく、我々を正当に扱うべきだ。我々がいかなる権力の前にも我々を貶めると考えないで欲しい。日本は独立国だ。(中略)[独自の帝国を持ち、領土内で]我々は独立国家としての地位を保たなければならないし、そうする。(pp.127-129)
以下は『日英条約論』からの拙訳です。
日本政府はヨーロッパ人が何をしようと、彼らに対して何の権限も全くないため、我が国に来るヨーロッパ人は日本国家を一種の半独立国(quasi-independent nation)とみなし、犯罪者を適切に処罰する義務を負っている政府を全く恐れていないため、我が国の法律に違反することを何とも思わない。イギリス人によって犯された犯罪がいくつかあったが、その犯罪の性質を述べることさえ恥ずべきことだ;ごく最近、13歳の日本人少女に対して激しい暴挙(violent outrage)が行われ、この恥ずべき犯罪行為は領事裁判所で6ヶ月の投獄という処罰がされた。もちろん、我々が領事裁判所で苦情を訴える事由はあるが、これらの領事は日本在住のイギリス人住民から選ばれるから、同国人を起訴したり、有罪判決にしたりするより、守るのがイギリス住民の関心であることは明らかだ。それに、これらのヨーロッパ人居留地にいるイギリス人の大多数は自分たちが多くの有利点を得ている国の原住民(natives)、また、ヨーロッパ人が享受している保護を与えている原住民政府に対しても強い偏見を持っている。これらの事実からだけでも、領事裁判所の判事たちが公平ではないことを示しており、従って、判事たちが一方に非常な利害関係を持ち、片方に偏見を持っている裁判所から、どうやったら公平で正義の裁判が行われるか見ることは難しい。(p.7)
150年後の日本政府と外務省は米兵による性犯罪を隠蔽
150年前の馬場辰猪の批判文章は、そのまま現在のアメリカと米軍にぶつけられる内容ですが、日本政府も外務省もアメリカ隷属の姿勢を変えていません。その一例として、日本に駐留する米軍基地の米兵による頻発する日本人女性・少女・幼児に対する性暴力に対して、日本政府と外務省は隠蔽し続け(注7)、2023年に起こった米兵の16歳未満の少女への性暴力事件について、女性外務大臣として上川陽子外相(2024/7/30当時)は、外務省が沖縄県にも防衛省にも連絡せず、沖縄県がメディアの報道で知ったことを「問題があったとは考えていない」と強調しました(注8)。もし、沖縄県と県民、基地内の米兵たちにも知らされていれば「外出禁止令が出され(中略)抑止力となる策は打てた」のにという声もあります。2023年の「米軍人・米軍属とその家族らによる刑法犯の検挙件数は72件。過去20年で最多」(注9)とのことですから、米軍と日本政府は隠蔽によって、米兵による性暴力を助長していることになります。
「『沖縄離れ』進む自民 米兵性暴力で政府への苦言なし」という記事で、自民党実力者が「政府に苦言を呈する声」をあげないから、自民党政治家は沖縄を見捨てたと批判しています。自民党政治家が見捨てたのは沖縄だけでなく、日本国内の女性と子どもです。自国の女性と子どもを差別・蔑視し続け、米兵による性犯罪に抗議もしないことが、性犯罪に関する刑法を明治時代のまま放置し続けたこととつながります。ようやく2023年に、性交同意年齢を「先進国の中で最も低い13歳から16歳に引き上」(注10)げたと、BBCがニュースに取り上げたのが象徴的です。
注
注1 | 萩原延壽『馬場辰猪』中央公論社、1967(昭和42)年、国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2973512/1/163 |
---|---|
注2 | 『馬場辰猪全集 第三巻』岩波書店、1988 |
注3 | 『馬場辰猪全集 第一巻』岩波書店、1987 |
注4 | 『岩波 日本史辞典』1999 |
注5 | Tatui Baba, The Treaty Between Japan and England, London, Trübner and Co., 1876. 国立国会図書館蔵の本書の出版年は表紙に1876となっていますが、『馬場辰猪全集 第一巻』(岩波書店、1987)所収の英文には[単行本:1875(明治8)年10月, London, Trübner and Co.]とされています。1875年刊の本が翌年に再版されるのは考えにくいのですが確証はありません。 |
注6 | 萩原延壽『北京交渉 遠い崖—アーネスト・サトウの日記抄—11』(2001)、朝日文庫、2008. |
注7 | 「米兵の性暴力『まだ隠されている』沖縄だけでなく他県にも 積み重なる犯罪 記録が示す被害の構造とは」『東京新聞』2024年9月4日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/351994 |
注8 | 高橋正光「『沖縄離れ』進む自民 米兵性暴力で政府への苦言なし」時事ドットコム、2024年8月10日 https://www.jiji.com/jc/v8?id=20240809kaisetsuiin120 *「米軍性犯罪の隠蔽追求 閉会中審査で赤嶺・山添議員 政府、通報手続き無視“問題ない”外相開き直り」『しんぶん赤旗』2024年7月31日 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-07-31/2024073101_01_0.html |
注9 | 平川仁ほか「5月にも米兵の性的暴行事件 公表していれば『防げたかも』怒り心頭」『朝日新聞DIGITAL』2024年6月28日 https://digital.asahi.com/articles/ASS6X432FS6XUTIL00MM.html |
注10 | ケリー・アン「日本で改正刑法が成立、レイプは「不同意性交罪」に 最高同意年齢も引き上げ」BBC, 2023年6月16日 https://www.bbc.com/japanese/65924722 |