“A Lesson to John Chinaman”(ジョン・チャイナマンへの教訓), Punch, 9 May 1857.
Scanned image and text by Philip V. Allingham, The Victorian Web. (注1)
パーマーストン首相の反論
上の『パンチ』の戯画で、Chinamanがぶら下げているプラカードの文言は”The Destroyer of Women and Children”(女子どもの破壊者)と記され、教師としていじめているのはパーマーストン首相です。カントン攻撃によってカントン市民を殺戮したのはイギリスなのに、その罪を中国人役人に着せて、中国をいじめるパーマーストン首相を風刺しているとも読めます。一方で、中国人役人が同国人に対して残酷だと主張するパーマーストン政権と、政権を支持するメディアがその論を報道していたので、『パンチ』の戯画もこの論を取り上げたのでしょうか。いずれにしろ、議会での議論を知らない読者には、女子どもを殺戮したのは中国人役人で、その中国に文明を教える首相と読めて、カントン攻撃を正当化するメディアの側面が見えます。
パーマーストンは初の首相就任が70過ぎという点で、史上初の首相とされ、メディアに人気があった点でもユニークだとされています。メディアは彼の「男らしい」外交手腕を好み、特に中国に対する高圧的な態度を好んだと評価されています(注2)。
下院の中国問題議論の4日目、最終日(1857年3月3日、(注3))に、グラッドストンの後にパーマーストン首相が立ち上がり、グラッドストンと同じぐらいの長演説をしますが、彼の議論から戯画の意味が読み取れます。 パーマーストンは最初から動議を提出したコブデンの人格攻撃を長々とします。開口一番、「the Honourable Gentleman[コブデン]はアリストテレス時代前の中国の論理学についてお話しになったが、もし彼が中国の論理学かアリストテレス時代の論理学を勉強したなら、彼が提出した動議文を書くようなことはなかっただろう」(注3)と皮肉たっぷりに始めます。次に、コブデンが香港提督ジョン・ボーリングは友人だが彼の行為は糾弾されるべきだと言ったことを取り上げ、友人の過ちを大目に見るのが友情だと、延々とコブデンの人格攻撃を続け、次はカントンの葉長官の人格攻撃です。パーマーストンの発言中で彼と彼を支持する人々の特徴が見られる箇所を抄訳します。
- この葉というのはどんな人物か? 国家を汚した最も残酷な野蛮人の一人である。人間性の品位を貶め、堕落させるあらゆる犯罪を犯した。これら二人の男[ジョン・ボーリングと葉]のコンテストにおいて、英国の代表にでなく、この野蛮人がえこひいきされたのは、あまりに異常だ。
- 私はウェスト・ライディング地区選出議員[コブデン]のスピーチの趣旨と調子を大きな痛みをもって聞いたことを告白しなければならない。なぜなら、スピーチ全体に反英感情が充満していたからだ。自分の国と国民とを結びつける絆全てを拒絶する言葉が下院議員の口から出るとは予想もしていなかった。イギリスの全てが間違いだ、イギリスに攻撃的なもの全ては正しい[と言った]。彼はイギリス商人は傲慢・横柄・粗暴・利己的・貪欲・金稼ぎの男たちの集団で、自分たちの勝手な目的のために、居住地で絶えずこの国を紛争に巻き込むと言った。彼はイギリス政府が弱者をいじめ、強者には腰抜けだと言った。
- この船は実際のところ、どの点から見ても、イギリス船として保護される資格があると証明されたと思う。[中国が犯した]悪事に対する謝罪だけでなく、二度としないという保証を要求する権利がある。この船が海上にいたか、川にいたかという情けない区別をこの下院で議論するなど予想もしなかった。
この後、延々とアロー号事件について、中国側がどうやって海賊が乗船していると判断したかを、どこからの情報か示さずに述べます。例えば、川を航行していたアロー号と並走していた中国当局の船から、赤いターバンの男と前歯の欠けた男を見つけ、彼らが海賊だとしてアロー号に乗船した;しかし、どうやって並走している船から見えたのか;乗船してみたら、老人しかおらず、海賊の父親だと思われたので、尋問のために逮捕した;もし海賊が見つからなかったら、中国当局はこの老人を斬首しただろう等々。パーマーストンのスピーチはまだ続きます。
- この紛争が起こって葉が最初に行ったのは、イギリス人の首に賞金を出すと公表したことだ。次に彼はこの憎むべき人種を根絶する秘密の方法を用いたと主張する声明を発表した。香港からの最新の情報で、この秘密の方法がいかに実行されたかわかる。シスル号[the Thistle: 郵便蒸気船] 内の残虐な殺人[カントンから香港に航行中、1856年12月30日に、乗客として忍び込んでいた中国兵が11人のヨーロッパ人を殺害した事件]と、香港のヨーロッパ人コミュニティの食事に毒を盛り込んだこと[1857年1月15日]だ。それなのに、本当に驚いたことに、オックスフォード大学選出議員[グラッドストン]は(中略)これらの残虐行為を擁護した。(”No! no!”と議場から叫ぶ声が挿入されていますが、グラッドストンが「違う!」と言ったのでしょうか)いや、そうだ。これは弱者が強者に対抗する自然で必要な手段だと彼は言った。だから、もしある国家が野戦で敵と戦うには弱すぎたら、この人の見解によれば、人類を貶めるような最も下劣で残虐な犯罪に正当性が十分あるということだ。(”No! no!”)(中略)この人の言葉とこの問題の対応の仕方は、彼がこのような恐ろしい犯罪のある種の言い訳をでっち上げていることを示していると言わざるを得ないのは悲しいことだ。(”No! no!”)彼は中国の弱さは野蛮国家でさえ、中国よりもはるかに文明度が低い国でさえ、カフラリア人[現在の南アフリカ共和国の東縁部で、当時イギリス領]とインド人でさえ恐ろしさで縮み上がるような防衛方法に頼ることが正当化できると言っているのだ。(”No! no!”)
- さて、我々が中国と戦争していると議論されたが、我々は中国と戦争状態ではないと主張したい。最新の出来事までは、この争いは純粋に地域的なものだった。残念ながらカントンの最高地位にある男の野蛮性が引き起こしたことだ。
- 中国に関する我が国の政策は将来どうあるべきかと聞かれた。これはもちろん、現在の中国との関係がどうなるか次第である。我々の第一の義務は、我々が防衛すると信じて中国に行った英国人が中国各地で蓄積した膨大な資産を守ることだ。
- 我々は中国を英国の王国にする気はない。イギリスが外国の他の地でしたことから、英中間で自由貿易が確立したら、中国の独立が侵害されると推論する資格は中国には全くない。(中略)我が国の商人がビジネスを立ち上げた国々を、我々が侵略したいという思いを示したことがあるか? 中国と他国との間にもっと大きな貿易関係ができれば、それは中国の人々にとっても大きな利益があることは明らかだ。
- 南京条約の結果、中国の港が開港した時、イギリスの生産者と商人は3億5000万人、世界全体の1/3に相当する人口に対する貿易ができるという期待が果てしなく膨らんだと言われている。
- 現在のところ、中国と我が国の貿易では、購入品の支払いのほんの一部が品物で、残りはアヘンと銀で払わなければならない。(中略)もし中国と友好な関係になれば、英国・フランス・アメリカ政府は貿易のためにさらなる開放を手に入れることに成功し、我々3国にとって利益は膨大なものになるだろう。中国自身にも計り知れない利点があるだろう。
- 昨夜、バッキンガムシャー選出議員(ディズレーリ)は短いがはっきりと、この投票は女王陛下の政府に対する不信任だと考えると言った。この議論のほとんどの点がその結論を示している。なぜなら、在中国の我々の役人たちの行為が残酷で軽率だから、我々は彼らを即刻譴責すべきなのに、そうせず、反対に彼らを支持し、彼らの行為を承認し、彼らが自分たちの能力と責任の限りベストを尽くしたと信じた我々に対するものが今夜の投票だと、オックスフォード大学選出議員[グラッドストン]が言った。
- 我々がしたいことは何か? 中国に使者を送って、葉が正しかったと言うことか? この議会の緻密な法律家たちが発見したことは、様々な法律上の専門知識に照らして、アロー号は英国法によるとイギリス船ではないと葉に言うことか? 従って、彼がしたことは正しかったと言うのか? そして、イギリス国旗を掲げていると彼がみなす船に対して同じことをしてもいいと言うのか? その結果はどうなるだろうか?
- 本議会に申し上げる。もしこの動議が賛成されたら、香港とカントンにおける我が国の貿易は、まるで海賊がカントンを乗っ取ったような、不安定なものになる。(中略)それだけではない。葉は勝利の歌を掲げて言うだろう。「臆病なイギリス人は私を恐れている。この野蛮人を全部追い払った。イギリスは偉大な国で、強大な陸軍と海軍を持っていると彼らは言ったが、イギリス人は私を恐れている。我、葉長官は今後彼らに対して何でもできる。私はカントン市の柵を中国人の首ではなく、イギリス人の首で飾ることもできる。私は何でも好きなようにできる。彼らの資産は望む者たちに略奪させよう」。このようなことがカントンだけで済むとお思いか? 我々はカントンだけでなく、他の港にも広大な利権がある。例えば、上海はほぼヨーロッパの町である。
パーマーストンのスピーチはこの調子でまだまだ続きます。彼がようやく座ると、グラッドストンが1点だけパーマーストンが自分のスピーチに言及したことを訂正したいと立ち上がります。中国人の報復を擁護したという批判について、自分は「憎むべき行為、戦争の忌むべきシステム」と表現したと述べます。すると、それに対してパーマーストンが「問題の行為を弱者が強者に対してする自然な行為だと言って、中国人に対する同情心を示したと言った」と繰り返します。
ディズレーリの議論
その後、ディズレーリ(Benjamin Disraeli: 1804-1881)が立ち上がります。ディズレーリはユダヤ人でしたが、12歳からクリスチャンとして育ったために、政治家として、後に首相として活躍できた人物です。イギリス議会は1858年までユダヤ人を除外していました(注4)。
- The noble Lord [パーマーストン]は延々と細かいことを述べたが、その議論は以前になされたので、時代遅れの議論だ。彼はオックスフォード大学選出議員[グラッドストン]を傷つける発言をした。また、これから我々が決定すべき動議の粗探しをし、動議が不明瞭だと決めつけた。私についても、政府不信任の投票という意見表明が私から出たと言った。
- The noble Lordにお知らせするが、この動議は私には明確で穏健なものに見える。また、政府に対する不信任の投票だという含みは、私から出たのではなく、法務総裁から出た表現である。実際のところ、(中略)私はこの投票が政府に対する不信任の投票だと受け止めている。
- 複数の議員諸君がジョン・ボーリング卿が事実を無視したと理解したのに対し、the noble Lordは葉が嘘つきだと返答した。複数の議員諸君が海外におけるイギリス商人の行為を、私なら使えないような表現で自由に述べたのに対し、the noble Lordの返答は、この動議に投票しようとしている我々が利益欲に影響されていると言う。
- 我々が議論すべきは政府の政策である。現在の政策は東洋との貿易を武力で増やそうという試みだ。中国との貿易関係が増えることが最も望ましいという意見に賛成だが、政府が目下追求している政策を黙認するわけにはいかない。
- 中国に関して、現在余りにも支配的な考え方がある。それは、イギリスがインドで成し遂げた同じ結果をもたらすために、勢いをもって行動しさえすればいいというものだ。50年前ヘイスティングス卿は5万人の兵士で中国を征服できると申し出た。
- しかし、クライブスとヘイスティングスが我がインド帝国を築いた時から、東洋の事情は大きく変わった。列強諸国が東洋において我々と接するようになったのである。中国にはロシア帝国とアメリカ共和国がいる。ヨーロッパにおける勢力均衡のように政治的妥協システムが自然に発達した;今、中国との対応で諸君の行動に注意し、慎重にならなければ、貿易を拡大するどころか、強力な国家のやっかみを招き、諸君より下等だとは言えない国々との戦闘に巻き込まれるだろう。この2,3ヶ月の間にペルシャと中国という2国と、どういう立場に諸君自身を置いてしまったか考えてみよ。私はペルシャとの間に和平を望んでいる。この2,3日中に和平が公表されることを望んでいる。たとえ我々が数ヶ月前に拒否した条件を受け入れても、和平を得ることを望む。
- しかし、もしペルシャとの間に和平が得られたら、諸君の戦闘行為によって、ペルシャにおけるロシアの覇権を確立することに成功するだろう。中国との間にも間もなく和平が来るかもしれないが、アメリカの覇権を確立してしまったことはほぼ確かだろう。
- もし、これが事態の真相なら、我々と同じ文明国である列強が同情している国と、この国が交渉するという考えは、野蛮、非文明だから、この国の頭[考慮対象]からなくすべきだ。
- 我々は、他の国々と行なっているのと同じ外交関係を中国のような国にも広げる考え方に慣れなければならない。諸君は非常に古い国と交渉しているのだ。この討論の中で、中国が25世紀もの[長い]文明を誇る国だと諸君は知らされた。古さの点では、ヨーロッパ文明などと比較にならない。
- このような古い習慣の結果が深遠な儀式やフォーマルな作法なのだ。それなのに、諸君はこのような国が、ヨーロッパの作法のフランクで、時には、こう言っては申し訳ないが、粗暴な[brutal残忍の意味も]作法の自由度に驚愕しないと思っている。交渉や条約によって中国の行動に影響を与えようという努力において、ヨーロッパ列強と連合する政策があれば、ゆっくりだが確実に、最終的には我々の目標を達成できると私は信じている。しかし、政府の実際の政策、the noble Lord [パーマーストン]が承認し、[その正当性を]弁明した政策は、ヨーロッパの他の列強との連合の政策とは矛盾するように見える。
- the noble Lordの同僚だった人たちは、中国に関する政策、非道な行為で始まり、もし続行されたら破滅に終わるであろう政策を承認しないかもしれない。諸君、これがthe noble Lordの立ち位置である。この政策について我々はthe noble Lordからどんな弁明を聞いたか? 中国との関係で、我々はどんな原則に依拠すべきか、彼は原則を一つでも示したか? この危難と困惑の時に我々を導いてくれる唯一の政治的格言を言ったか? とんでもない、彼はこの弱々しい、よろよろの事件を、何と言って隠したか? 彼は陰謀論の餌食だ。これはよくあることだ。抗弁[内容]を持っていない不運な刑事被告人が度々叫ぶこと、「全ては陰謀だ」と主張するのと同じじゃないか? 彼[パーマーストン]の抗弁はどんなものだったか? 彼は自分の行為について、男らしい、政治家らしい抗弁をしなかった。彼はこの議論の間中示された些細な点を再現し、私の考えでは、全く使い尽くされた時代遅れの論を再現し、その後、一変して、全てが陰謀だと言ったのだ![感嘆符は原文のまま]
- 私は下院が一瞬たりとも、the noble Lordのだらけた脅しに影響されないことを望む。この議会が存在しなくなったずっと後でも記憶されるような、果たすべき義務があると諸君が感じることを望む。そして、大臣の威嚇を恐れず、義を証明する勇気を持ち、原則を主張して欲しい。我々が誇りに思う帝国がすぐに疑われるかもしれないようなことに従わないことを望む。
評決結果
ディズレーリの後に、コブデンがパーマーストンの非難に反論するために立ち上がり、その後に投票が行われます。動議に賛成したのは263人、反対は247人でした。ディズレーリがパーマーストンを陰謀論者と非難した理由の一つは、葉の指示で、ヨーロッパ人が食べたパンに毒が入れられたと言ったことですが、これは葉の指示ではないだろうとパークスが述べていたそうです(注5)。
注
注1 | “A Lesson to John Chinaman” (Punch, 9 May 1857), Victorian Web, 12 April 2004. http://www.victorianweb.org/periodicals/punch/35.html |
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注2 | Jonathan Parry, “Lord Palmerston”, The National Archives, 7 April 2016, Prime Minister’s Office, Government of U.K. https://history.blog.gov.uk/2016/04/07/lord-palmerston/ |
注3 | 「決議の動議。討議再開(4晩目)」庶民院、1857年3月3日、イギリス議会アーカイブ ”Resolution Moved, Resumed Debate (Fourth Night), House of Commons, 03 March 1857. https://api.parliament.uk/historic-hansard/commons/1857/mar/03/resolution-moved-resumed-debate-fourth |
注4 | “Benjamin Disraeli, the Earl of Beaconfield”, Past Prime Ministers, Gov. U.K. https://www.gov.uk/government/history/past-prime-ministers/benjamin-disraeli-the-earl-of-beaconsfield |
注5 | Lowe, K. & McLaughlin, E. (2015). “’Caution! The Bread is Poisoned’: The Hong Kong Mass Poisoning of January 1857”, The Journal of Imperial and Commonwealth History, 43 (2). http://openaccess.city.ac.uk/14522/ |