ペリー艦隊が浦賀に現れた頃、『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』は「アジアの運命」と題した記事で、ヨーロッパ列強の侵略によって日本以外アジアと呼べる国は残っていない、アメリカは「破滅の貿易」で日本を侵略すべきではないと訴えます。
- 1853年6月9日(NYDT):「中国の反乱—フランスとイギリス—日本遠征」(注1)
アメリカ海軍プリマス号に乗船している士官からの3月24日付・香港発の手紙によると、目下世界中の関心は反乱だ。中国当局の要望に従って、イギリスは政府軍を支援するために蒸気軍艦2隻とブリッグ艦を派遣した。サスケハナ号は上海に送られた。この士官は「今季は日本に行けないと思う。艦隊は7月まではここ[香港]に到着しないだろう。そして8月までに準備が整わないだろう。この頃の海岸は非常に危険だから、遅れは必須だろう」と書いている。—『フィラデルフィア・インクワイラー』6月2日より
アジアの運命
以下の記事はレトリック的にわかりにくい部分もあり、長いのですが、日本にも言及しているので、原文にない小見出しを付けて、大半を訳します。
- 1853年7月8日(NYDT):「アジアの運命」(注2)
職名が”ographer”で終わる全ての紳士たち—歴史学者(historiographers)、民族学者(ethnographers)、地理学者(geographers)—は古い世界の最古の大陸の現況と見込みに妙な興味を感じるべきだ。アジアは実際にその子どもたちによって貪り食われている。人間は自分たちの原始的な家を取り壊すのに忙しい。国々のゆりかごを彼らは薪として燃やすために粉々に打ち壊している。それは彼ら自身の野望の喧嘩を燃え上がらせるかもしれない。
ロシアとイギリスの中近東征服合戦
300年少し前、ロシアはその幼児的食欲をシベリアに向けた。北のあの巨大な地域にはブッダやダライ・ラマやイエス・キリストの弟子たちが今では溶け合って仲間になり、彼らの祈りが混じり合って彼らの神々とツァーに捧げられている。エカテリーナ2世の治世[1762-96]はアジア併合の精神の再生を目撃した。ペルシャに向かって、ロシア国境はピョートル大帝の時代[1682-1725]から1000マイルも進んだ。
実際、ペルシャはイギリスとロシア軍の二つの侵略の海に挟まれた地峡に過ぎない。大陸で唯一と言っていい優れた外交の場はテヘランにある。そこではイギリス王室の使節団とツァーの使節団が崩壊寸前の王国のわずかでも得ようと取っ組み合い、お互いにそれぞれの飽くなき欲望に油断なく抵抗している。イギリスは特にロシアのフロンティアがインダス川の岸で自分の領土と向かい合うのを見るのに反対している。そしてシリアと小アジア[現在のトルコ]、現在ツァーによって私物化されている宗教的権威は基本的にこの歴史上の地域全体の征服である。なぜなら、もし強力で精力的なキリスト教国が、外国の政治的統合体への干渉になるからと、外国の宗教的影響の侵略を不安な思いで見るだけだったら、老衰の最後の段階にあったトルコ国家にとっての危険はもっと大きかった!(原文強調)
インド・中国・ビルマの運命
南方では、イギリスは味のよい古いスティルトン・チーズ[イギリスのブルーチーズ]を齧る大きなネズミのように、大陸に食い込んでいる。インド半島の王国と地方と町が次々と獲得されている。この専有の多くは武力と軍隊によって成し遂げられ、また多くは絶え間ない陰謀と統御によって達成した。イギリス人の友情は銃剣よりももっと致命的だったのだろう。(中略)
パンジャブ地方の征服と割譲は昨日のことだ。今日我々が知ったのはニザーム王国[インド中南部のムスリム王国]の領土が主に綿栽培のために確保されたことだ。ビルマは併合の過程にある。その重要な地域はすでに併合された。中国は1839年に罠に落とされ、文明化とキリスト教化の影響に晒されている。その影響には年間100万ポンドのアヘンが含まれ、決定的な治療の前段階とされている。太陽と月の前現世的帝国の崩壊は実際に全速力で進んでいる。中国帝国が自殺的精神で自分に損害を負わせ、残ったものは外国の貿易商たちが手ぐすね引いて待っている。イギリス・アメリカ・ロシアが残った破片を集めて、自分たちのための属国を再建しようと辛抱強く待っている。
日本以外のアジアは西洋による破滅の貿易に一掃された
海岸線周辺の島々に関しては、既にずっと昔に西洋の国々、オランダ・スペイン・ポルトガル・イギリスに分割されている。日本列島だけが取り残されているが、それは日本の疑い深い慎重さが西洋諸国の破滅の商業的開始を除外してきたからだ。日本の仲間たち全てはこの破滅の商業に一掃されてしまった。
読者がまともな地図を目の前にして、アジアの中でヨーロッパに侵略されていない部分、そして実際に占有された部分と占有されつつある部分を赤線で印をつけたのを見れば、今でも土着のアジアだというものの少なさと無価値さについてわかるだろう。貿易と政策はアレクサンドロスやジンギスカンやタメルラン[ティムール]などの強力な征服者に勝るとも劣らない。(後略)
日本遠征には1隻の船で十分だ
以下の記事は中国における反乱軍の動向についてですが、ペリー艦隊の動きについての批判があるので、その部分を紹介します。
- 1853年7月12日(NYDT):「南京は反乱軍の手に落ちた」(注3)
香港から『アトラ・カリフォルニア』宛の4月24日付の手紙が以下を伝えている。上海には合衆国の蒸気船サスケハナ号とイギリスの戦艦3隻、フランスの戦艦1隻が[上海の外国人を守るために]いる。
ペリー提督は現在ミシシッピー号とサラトガ号と共に香港にいる。艦隊を自分の指揮下に集結させるのを待たずに、即刻(原文強調)上海と日本に向けて出発するつもりだ。この動きは問題だ。日本の予想に反するからだ。日本は我々の動きを全て掴んでいるから、結果的にきっと我が国の遠征が完全な失敗に終わるだろう。これとは別に、[中国で]騒乱が起こった場合、アメリカの権益の保護を他の友好国に任せる(原文強調)ことになり、それは全くあり得ない。この拙速な動きは、多分彼が自分を東インド艦隊ではなく、日本遠征の指揮官だと考えているからだろう。または、ワシントンの新政権がこの贅沢な遠征を中止することを見込んでいるからだろう。どんな実行可能な目的であれ、1隻の船で十分なのだから。
アンクル・サムは十分な軍艦を持っていない
- 1853年7月22日(NYDT):「アンクル・サムは十分な軍艦を持っていない」(注4)
『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』特派員:ワシントン発、1853年7月20日
今夜電報を送るのは、ペリー提督の艦隊が日本への最初の訪問からマカオに多分10月に戻り、来春この旅を繰り返すつもりだと伝えるためである。
訳者解説:この記事は上記の記述で始まっていますが、主には中国の反乱軍の鎮圧に関する英米の対応の違いに関する特派員の意見です。見出しの意味は、次のコメントに集約されています。
[イギリス海軍の]セイモア提督は母国政府から大西洋で隔てられているにもかかわらず、自分の指揮下で600砲以上の艦隊を3週間で集結させられる。一方、我が国の首都からの距離は1週間なのに、[イギリスと]同じ期間に我々ができるのは、110砲を集めるのがせいぜいだ!(原文強調)
アメリカが日本を植民地化するなら、イギリスのジャワ統治より経済的・効率的にできる
- 1853年8月16日(NYDT):「中国:反乱軍の進展—合衆国艦隊の動き」(注5)
『ロンドン・タイムズ』特派員、香港発、5月24日合衆国日本遠征艦隊の船は上海港に集まってきている。この遠征の主たる明らかな目的は、アメリカの急速に発展増加している東洋貿易の推進と保護のために、シナ海にアメリカ人居住地と石炭基地を設立することだ(原文強調)。ヨーロッパの経験から、このような居留地/植民地が直接的利益と強化の源泉となる。我々[イギリス]がジャワ島をオランダに返したとき、イギリスに£1,000,000の余剰収入を生んだ。合衆国のネイティヴ・アメリカン人口は比較的少ないので、このような居住地の形成と維持に対する障害とならない。
ジャワの統治のために我々が雇ったアングロ・サクソンの役人と軍人は400〜500人を越えなかった。アメリカはこのような居留地/植民地の保護のために必要なアイルランド人の部隊や原住民の部隊をいくらでもすぐに組織できるだろうし、多分我々よりももっと経済的、効率的にできるだろう。
アメリカの蒸気軍艦サスケハナ号が長江を上っていけたら、南京は帝国軍のために守れただろうし、中国の運命も変わっていただろう(原文強調)。この状況が示すことは、海岸での戦闘には大きな戦艦の補給として、ネメシス号[イギリス海軍の鉄戦艦]のような、軽吃水の小さな鉄の蒸気船を付けることの有用性だ。このクラスの蒸気軍艦の有益性はイギリス海軍でもアメリカ海軍でも今まで全く見落とされていた。現在の中国の状況がこれをより一層望ましいとしているし、ビルマ戦争は即座に終了させるべきである。エーヤワディー川(the Irrawaddy: ミャンマーの主要な川)でイギリス海軍が使っている軍隊を、中国におけるイギリスの権益を守るために使うべきだ。
訳者コメント:『ロンドン・タイムズ』の特派員の記事は、文脈からアメリカは日本を植民地化しようとしたら、イギリスがジャワ島を統治したより、経済的・効率的に植民地化できるという含みのようです。
日本はペリー提督を友好的に受け入れる準備をしている
- 1853年8月22日(NYDT):「中国と日本遠征の興味深い情報」(注6)
『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』への特報、ワシントン発、8月21日上海のペリー提督から5月16日付で海軍省に届いた特報によると、提督はすぐに日本に向けて出航する。彼は日本から情報を受け取った。オランダの役人を通して、日本は彼を友好的に受け入れる準備をしていると。しかし、海岸の砦の増強をしている。ペリーの乗組員は全員良好。
ロシア政府はアメリカの日本に対する企てに抵抗する
- 1853年10月3日(NYDT):「日本への遠征」(注7)
アムステルダムのThe Weser Gazetteによると、ロシア政府はアメリカの日本に対する企てに抵抗する決定をした。この目的のため、ロシア艦隊は最近この海に向かって出発した。ロシア政府はライン川の岸に住んでいるシーボルト教授から日本に関するあらゆる情報を得て、アメリカの企てを失敗させるために採るべき最良の策を得ようとしている。シーボルト氏は日本に長く滞在したので日本についてよく知っている。オランダ政府はサンクトペテルブルグ内閣の決意に喜んでいると伝えられた。アメリカがオランダ群島を脅かし、さらに、イギリス・メディアがアメリカに味方して、最近、東インド諸島におけるオランダ統治への不信感を表明し始めたからだ。
訳者解説:この記事の最後の「オランダ群島」の意味はオランダ領東インドのようです。現在のインドネシアにあたります。
注
注1 | ”The Chinese Rebellion—The French and English—The Japan Expedition”, The New York Daily Times, June 9, 1853, p.3. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/06/09/issue.html |
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注2 | ”The Fate of Asia”, The New York Daily Times, July 8, 1853, p.4. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/07/08/issue.html |
注3 | ”Nankin in possession of the rebels”, The New York Daily Times, July 12, 1853, p.6. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/07/12/issue.html |
注4 | ”Uncle Sam has not Ships enough”, The New York Daily Times, July 22, 1853, p.1. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/07/22/issue.html |
注5 | ”Further Accounts of the Progress of the Rebellion—Movements of the U.S. Squadron”, The New York Daily Times, August 16, 1853, p.1. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/08/16/issue.html |
注6 | ”Interesting from China and the Japan Expedition”, The New York Daily Times, August 22, 1853, p.1. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/08/22/issue.html |
注7 | “The Expedition to Japan”, The New York Daily Times, October 3, 1853, p.2. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/10/03/issue.html |