アメリカ大統領フィルモアが1852年12月6日にメッセージを発表し、大半はアメリカの領土拡大についてですが、その中に日本遠征も含まれています。同時期に日本遠征に参加する海軍将校が武力行使に対する疑問と批判を述べている手紙が『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』に掲載されます。
- 1852年12月07日(NYDT):「大統領のメッセージ」(注1)
北太平洋から北極海海域にまで、近年我が国の捕鯨船が度々航海している。航海一般に蒸気を使うことは日々通常化しているため、アジアと我が国の太平洋岸の間のルートの都合良い地点で燃料とその他の必要な補給物資を手にいれることが望ましい。我が国民が東の海で難破することが度々起こっており、彼らは保護されなければならない。これらのこと以外に、太平洋岸の我が国の州の繁栄のために、反対側のアジア地域を相互に益ある通商のために開国させる試みをしなければならない。この試みを行うのは、遠くの植民地に頼るという考えを憲法システムから一切除外しているアメリカほど適切な国はない。したがって、海軍の中で最高位の地位にある人物で、知性があり慎重な士官の指揮下に海軍を日本に送るよう命じることになった。この士官は、2世紀も続けた不親切で非社会的なシステムを続けているかの国の政府にこのシステムを緩めるよう求めることを指示されている。彼はまた、我が国の船乗りたちが受けた虐待に対し、最も厳しい言葉で抗議することと、彼らを人道的に扱うことを主張するよう指示されている。しかし、同時に合衆国の目的は私が示したようなもので、遠征はフレンドリーで平和的であることを十分に保証するよう指示されている。東アジアの国々の政府が外国人の提案を警戒心で見ているにもかかわらず、私はこの遠征の結果が有益なものだと期待している。成功すれば、その利益はアメリカに限らず、中国の場合のように、海洋国家全てと平等に共有し、楽しめる。この遠征の準備段階全部で、日本と通商がある唯一のヨーロッパ国であるオランダ国王の物質的援助を合衆国政府が受けたことに満足している。
- 1852年12月11日(NYDT):「探検遠征隊」(注2)
我が国の政府が大いに自画自賛している探検遠征隊を我々も非常に好ましく思う。我々の健康的な好奇心を満足させるものだ。我々の知的味覚にかなうものだ。実用的知識に対する我々の好みに滋養を与える。日本の固い箱の蓋が開けられるのを望んでいる。日本の金を切望しているのでもないし、日本の石炭を一掴み取ろうと言うのでもない。しかし、箱の中に何があるのか知る権利が我々にはある。それは我々に大いに役立つかもしれない。
訳者コメント:日本遠征に関する記述に「食欲・味覚・消化キャパシティ」などのメタファーが多用されていることは(6-6-5参照)、日本遠征やその他の領土拡大の本質を表しているようです。
サスケハナ号の士官からの手紙:日本遠征が攻撃的か平和的かは日本到着後の偶発的事件次第
本文にはない小見出しをつけて抄訳します。
- 1852年12月28日(NYDT):「日本遠征」(注3)
合衆国軍艦サスケハナ号乗船中の士官の手紙の抜粋。中国Cuinsingmoon発、9月22日過去数カ月の艦隊の主な関心は日本遠征だったが、本国からのニュースの性質と[出発の]遅延によって、その興奮は次第に衰えた。最初は[日本に]送る武力の量が友好的な訪問には全く不必要と言われたように、政府が戦争行為を決定と信じられた。しかし、その後の報告では船の数を減らし、出港の日が無期限に延期されたというので、この船が出帆した時に計画されていた遠征以外の遠征は実現するのだろうかという疑いが我々の間に起こっている。
貯蔵船の到着で遠征が予定通り行われるという考えが蘇り、遠征が攻撃的か平和的かは日本に到着してからの偶発事件次第だ。(中略)私は日本問題と政府がこの件で追求している政策に関して、独自の考えを持っている。政府の目的がアメリカの商業に対して日本の港を開けさせ、石炭の兵站地を建設する場所を確保することだとすると、もし失敗したら、この二つの目的が日本政府のよく知られている政策に反すると、みんなから見られることになる。
日本はずっと独立国だった
日本人はヨーロッパの字義通りでは、軍国的な国民ではないが、それでも、この点を無視すべきではない。なぜなら彼らは勇敢な人々で、地球上のどの人種よりも人命を尊重しないと自認しているからだ。日本は人口が多く、その点で大きな力を持っている。しかし、力の要素のもっと大きな点は、彼らはずっと独立していたし、あらゆる侵略者から自衛する能力に大きな自信を持っていることだ。簡単に言えば、これが我々が変えようとしている国の政府の政策だ。その上、彼らは非常に疑い深いことが知られている。だから、日本の港に寄港し、日本とわずかな交流を許されたヨーロッパの船数隻にとって、大きな困難は日本を欺くつもりもないし、自分たちは正直に言っていると日本に納得させることだった。これが歴史の真実なのに、我が国の政府が取ろうとしている道は何と驚くべきことか!(原文強調)(中略)
アメリカ政府の命令により、サスケハナ号が香港に到着するとパシフィック号で送られてきた日本人グループと会うことになっていた。この日本人たちはオーリック提督が日本に帰国させる目的で乗船させて日本に向かうことになっていた。これは日本訪問の別の目的の導入として使われる予定だった。もちろん、これらの目的を提示する方法は担当指揮官次第だ。ほとんどは彼の判断と裁量にかかっていた。その話し合いで率直であれば、[日本政府の]疑いの全ては避けられる可能性が高い。[我が国の]政府が日本の漂流者たちを送り返すために国の船を送ったのだと繰り返し言えば、日本に対して我々が平和的友好的関係を求めているという証拠になり、我が国に好都合な強い主張ができただろう。これが最初に取ろうとしていた道である。(中略)
アメリカが日本と衝突しようとしていると世界は知らされた
今、世界は偉大なアメリカ共和国が日本帝国と衝突しようとしていると知らされた。[アメリカ政府は]強大な蒸気フリゲート艦数隻からなる巨大な海軍を送って、国際法違反に対する弁償を要求し、同時に世界の商業に対して日本の港を開放することを日本に余儀なくさせることを望んでいると、世界は知らされた。これが発表の内容で、日本はバタヴィアを通してすぐにこのことを知らされる。これが我が国政府の真の見解と目的を含んでいるかどうかは別として、日本人の心に与える影響はもちろん同じだろう。その効果とは何か!(原文強調) 我々の意図への不信は何も変えることができない。これが彼らが今置かれている心理状態だ。そしてアメリカの交渉人はどこにいようとも、彼ら[日本]に近づくことはできないだろう—少なくとも友好的には。その場合、武力が使われると仮定すると、警戒は警備(to be forewarned is to be forearmed)というのが日本にも他の国にも適用されるのは間違いない。彼らの軍事力がどんなものであれ、その場合に備えているだろう。
日本に上陸し、江戸に行進して、国を掌握するにはメキシコ戦争時の大軍隊が必要
武力行使において、我々に何ができ、何ができないかについては、私は君にさえ話すことはできない。疑いないことは、我々の銃で、我々自身へのリスクはほとんど無しに、多くの人命と建物を破壊することができるということだ。しかし、それで我々の目的を達成することができるのか? 私はそう思わない。なぜなら我々が船に閉じ込められていたら、ある地点以上には行けないからだ。
上陸して江戸へ行進し、この国を掌握するには、メキシコで必要とされた軍隊と同じくらいの大きな軍隊と同じくらいの経費が必要だ。小さな島に上陸して占領するのは可能だろうが、岸に駐屯地が必要になり、近くに軍艦を1隻以上待機させることが必要になる。この話に君は笑うかもしれないが、このような方法は我が国の政府が犯す最も残念な行為になるだろう。これは外国領土を手に入れるイギリスのシステムに楔を打ち込む以外の何物でもない。そして、我々はすぐにこの国を覆う陸軍と海軍を持つだろう。日本問題に関して私がこれほど言うのは君には奇妙に見えるかもしれない。私が言いたいことは、ただ以下のことだ。この件に関してアメリカから伝えられる噂や報告から推察するに、政府が最初の計画から外れて、大きな間違いをした。なぜなら、日本のような非常に特殊な国を相手にする平和的交渉には、2隻よりも1隻の船の方がいい。そして、武力誇示として、あるいは攻撃する意図の3隻、4隻の船は何ら現実的な結果を達成できないからだ。–『ワシントン・ユニオン』紙、12月25日。
解説:ヴィクターとだけ署名された人物による長い投稿記事です。マルコポーロから始まり、フェルナン・メンデス・ピント(Ferdinand Mendez Pinto: 1509?-1583)が日本に最初に行ったポルトガル人と紹介されているだけですが、彼の航海記には種子島時尭(ときたか:1528-1579)らしき種子島の領主に鉄砲の撃ち方を教えたとか、豊後の領主に歓待されたとかの記述があります。それを元にしたのでしょうか、『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』の投稿者はこの時代について、「この頃の領主たちが独立した主権を持っていたらしいことは驚きだ。将軍や帝の許可を得ずに外国人と交流していた」と述べています。フェルナン・メンデス・ピントの航海記の英訳の第二版改訂版がロンドンで1662年に出版されています(注6)。
フェルナン・メンデス・ピントが日本に来たのは事実とされていますが(注7)、内容は想像の産物、ウソだという評価だったらしく、1835年の『スペクテーター』紙は、「フェルナン・メンデス・ピントは第1級の嘘つきだったが、もし彼が今生きていたら、トーリー党の雑誌やトーリー党寄りの新聞に彼が信仰していた高貴な技と同じか、それを凌ぐものを見ただろう」(注8)と、2010年代の表現で言えば、フェイク・ニュースを批判する比較に使っています。
1853年の投稿者は事実として読んだようで、日本と海外との貿易の歴史を解説する中で、また、次のように述べています。「外国人の存在は日本人に活動的な企業精神を吹き込んだようだ。16世紀末には、スペイン人との交流を通して、アカプルコとの貿易を進めたと断言されている」。アカプルコとの貿易について、家康が対メキシコ貿易を試みたことは事実とされていますが、実現しなかったこと、サン・フェリペ号事件(1596年、3-3参照)の船がマニラからアカプルコへ向かうガレオン貿易船だったことが知られています(注9)。
- 1853年3月8日(NYDT):「大統領就任式」(注10)
[ピアス新大統領の就任演説で]大統領は「拡大」(原文強調)に全く恐れていないので、キューバ獲得を求めている人と、メキシコ[領土]をもう少し欲しいと思っている人は狂喜した。
- 1853年3月11日(NYDT):「合衆国上院」ワシントン発、3月10日(注11)
日本艦隊への石炭の供給について情報を求めるという議論を要約します。日本艦隊用の石炭が8万トン必要とされ、供給を請け負う代理店が2社あったが、彼らの手数料の値段が違う。1社は石炭1トンにつき、$15の購入額としたが、この会社は選ばれず、ホーランド・アスピンウォール社が選ばれ、日本艦隊用の石炭の購入を委任された。アメリカの石炭の方が質が高く安いのに、この会社は石炭の大半をイギリスから買い、それがシナ海に着くときにはアメリカの石炭より4分の1も高額になる。さらに他の会社が購入する石炭の補償金を5%にしているのに対し、ホーランド・アスピンウォール社は10%受け取ることになっている上、イギリスの石炭には為替用に10.5%認められている。石炭1トンにつき、$20だから、彼らの手数料は$160,000、為替用に更に$100,000手に入れる。海軍の前任者を疑うわけではなく、多分知らずに契約したのだろうが、上院が情報を入手することが必要だと議決を求め、賛同された。- 1853年4月16日(ILN):「アメリカ」(注12)
今ワシントンで、日本への遠征は破棄されるという報道がされている。ピアス将軍(General Pierce=大統領)は不要だし得策ではないと考えている。日本に港を開放させるには遠征隊[の武装]は十分の強さがないし、条約や主張の理屈は全く効果がないからだ。ベーリング海峡の探検は延期される。- 1853年4月23日(ILN):「アメリカ」(注13)
日本遠征の撤回は公式に否定された。
注
注1 | ”President’s Message”, The New York Daily Times, December 7, 1852, p.4. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/12/07/issue.html |
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注2 | ”Exploring Expeditions”, The New York Daily Times, December 11, 1852, p.4. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/12/11/issue.html |
注3 | ”The Japan Expedition”, The New York Daily Times, December 28, 1852, p.6. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/12/28/issue.html |
注4 | ”Epitome of News, foreign and Domestic”, The Illustrated London News, vol.22, 1853 Jan.-June, Jan. 1, 1853, p.10. Hathi Trust Digital Library. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=chi.60765664 |
注5 | ”Japan—European Intercourse with Japan up to the period of Dutch Ascendency”, The New York Daily Times, March 3, 1853, p.2. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/03/03/issue.html |
注6 | Ferdinand Mendez Pinto, H.C. Gent (tr.), The Voyages and Adventures of Ferdinand Mendez Pinto, A Portugal: during his Travels for the space of one and twenty years in the Kingdoms of Ethiopia, China, Tartaria, Cauchinchina, Calaminham, Siam, Pegu, Japan, and a great part of the East-Indies. With a Relation and Description of most of the Places thereof; their Religion, Laws, Riches, Customs, and Government in the time of Peace and War. Where he five times suffered Shipwrack, was sixteen times sold, and thirteen times made a Slave, Second Edition Corrected and Amended, Henry Herringman, London, 1663. Hathi Trust Digital Library. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=nc01.ark:/13960/t0ns8c57t&view |
注7 | 岡美穂子「日本関係海外史料イエズス会日本書翰集 原文編之三」『東京大学史料編纂所報』第46号p.57-58. https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/46/pub_kaigai-iezusu-genbun-03.html 「フェルナォン・メンデス・ピント」ポルトガル大使館 http://embaixadadeportugal.jp/jp/二国間関係/フェルナォン・メンデス・ピント/ |
注8 | “Specimens of Tory Proficiency in Falsehood”, The Spectator, 23 May 1835, p.10. http://archive.spectator.co.uk/article/23rd-may-1835/10/specimens-of-tory-proficiency-in-falsehood-ferdina |
注9 | 箭内健次「近世初頭における日本・メキシコ貿易の基調」『史淵』99, 1968. https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2244138/p091.pdf |
注10 | ”Political movements—The President’s Inaugural—Expansion—Foreign Policy—Office Seekers &c, &c.”, The New York Daily Times, March 8, 1853, p.3. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/03/08/issue.html |
注11 | ”United States Senate—Extra Session—Washington, March10: “Coal for the Japan Squadron”/ Minnesota Indian Affairs”, The New York Daily Times, March 11, 1853, p.3. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1853/03/11/issue.html |
注12 | ”America”, The Illustrated London News, April 16, 1853, p. ,出典は注4参照。 |
注13 | ”America”, The Illustrated London News, April 23, 1853, p. 出典は同上。 |