1937年クリスマス・イヴの『ニューヨーク・タイムズ』に南京事件/虐殺の詳細が掲載されました。
『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道11日目:1937年12月23日続き(注1)
- 「斎藤[駐米大使]の娘たちがラジオで平和を訴えた」:ワシントン発、12月22日(p.12)
- 「ドイツとイタリアは最近の外国人に対する攻撃[パナイ号・レディーバード号事件]で日本を鼓舞したことを否定」:ベルリン発、12月22日(p.12)
- 「パナイ号司令官が報告書を送った—ルーズベルトに提出されたが、合衆国は海軍審査会の報告を基に決める」:ワシントン発、12月22日(p.12)
- 「侵略者[日本]は16マイル先」:上海発、12月23日(p.12)
日本は南中国の広東を攻撃するために部隊を集結させており、現地の避難民が膨大な規模で増えている。数千人が西の内陸地と東の香港に向かって逃げた。英国のクルーザー、ケープタウン号が48人の英国民、ほとんどが女性と子ども、を乗せて揚子江を香港に向けて航行中。国際急行が今日漢口を出発する予定で、324人の避難民、多くがアメリカ人を乗せて香港に向かい、クリスマスに到着予定。
寒さが上海の避難民の死亡率を極端に増加させ、この2週間の死亡者は1日平均443人で、そのうちの371人が子どもだった。過去3カ月で上海では4万人の避難民が死んだ(訳者強調)と報告されている。
- 「3隻の合衆国船が青島に」:青島発、12月23日(p.12)
予想されている日本の攻撃から青島を守る準備を中国軍がしているので、3隻の合衆国戦艦がアメリカ人を避難させるために待機している。中国軍が日本の綿織工場を破壊した報復に日本がどんなことをするかまだ示されていないが、報復の恐怖は続いている。
アメリカ領事館は300人のアメリカ人居住者に避難を助言し、多くはアメリカ戦艦にすでに乗船している。中国市民の大量避難は続いている。
- 「日本は補償を要求、虐殺の追悼碑」:東京発、12月23日(p.12)
北平からの報道によると、通州(Tungchow)での虐殺に対し、日本は120万円の補償と公式謝罪、追悼碑の建設を要求するだろう。虐殺は7月29日に起こった。日本と日本陸軍が設立した東河北政府の部隊が反乱を起こし、220人の日本人とコリアンを虐殺した。理由は北中国の戦闘が始まった時に反乱を起こした部隊の幾つかが全滅させられたことに対する報復だ。
『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道12日目:1937年12月24日(注2)
- 「海軍委員会の報告書が我々の日本からの補償の要求を強めた—パナイ号事件のすべてのデータが揃った—政府高官は映画がストーリーのようなら世間の怒りを買うと恐れている—東京の陸軍報告書—陸軍指導者たちは攻撃を川の偵察の小部隊の混乱のせいにする」(pp.1, 6)
政府高官はパナイ号事件のニュース映画がワシントンに月曜[12月27日]に到着し次第、視聴する。この映画はそのすぐ後に劇場で公開されることになっている。政府高官はもしこの映画が証人たちが述べたことを映像で明らかにしていたら、民心が煽動させられるのではと心配している。
今日、「戦争心理」(原文強調)に対する警告がアイダホ州選出のウイリアム・E.ボーラ上院議員によって発せられた。声明の中で彼は合衆国は中国から撤退すべきではないが、中国にいることでこの国が日本との戦争に巻き込まれるとは信じていないと述べた。「ここ母国でも外国でも、ある人々が戦争感情、戦争心理を起こすために膨大な量の努力をしているが、それは非難されるべきだ。合衆国は守るべき独自の権益と名誉がある。しかし、もしアメリカが他国の権益に巻き込まれずにこの課題に専念することが許されるなら、私の意見は戦争をせずに両方とも守ることだ。
大統領は10月5日のシカゴのスピーチで、『平和政策を遂行し、戦争に巻き込まれないようあらゆる現実的な方法を採ることを決意している』と言った。大統領はまさにこれをしようとしていると私は疑わない。もし私がこう考えなければ、そう言うことを躊躇すべきではない。国民を戦争にぶち込むのに大した勇気も政治的手腕も必要としないが、戦争好きの猟犬(war hounds)が獣道を見つけた時に国民を戦争から守るためには時にはものすごい勇気と大きな政治的手腕を必要とする。
私は我々が中国から出ていくべきだとも、東洋を去るべきだとも思わないが、そうしないからといって、我々が日本と戦争をするとも思わない」と述べた。
- 「ハルは厳しい態度を維持」:ワシントン発、12月23日(pp.1, 6)
- 「パナイ号に関する日本陸軍の報告書—陸軍と海軍将校が東京でグルーと彼の側近に揚子江上の出来事を話した—混乱が強調される—攻撃部隊は攻撃の最中に部隊の本部と連絡したと報告」:ヒュー・バイアス、東京発、12月23日(p.6)
今夜アメリカ大使館における3時間の会議で、日本陸軍と海軍の代表者たちは12月12日の合衆国戦艦パナイ号攻撃に関与した陸上・航空部隊の動きを詳細に語った。合衆国を代表したのはジョセフ・C.グルー、参事官のユージン・H.ドゥーマン[訳者強調]、海軍と海軍航空武官のハロルド・M.ベムルズ大佐、陸軍武官補佐官のハリー・I.グレズウェル大佐だ。日本のスポークスマンは海軍副大臣の山本五十六[訳者強調]、中国の長谷川清司令官のスタッフである高田少佐と西義章中佐だ。西中佐は元ワシントン武官だった。彼は大本営から中国での事実調査を命じられ、昨夜中国から戻ったばかりだ。日本側は当日の上陸部隊の全行動を説明できると考え、全説明は出席したアメリカ側の専門家によって精査された。
日本の意図は、戦闘と混乱の日に計画していない予期せぬ一連の出来事が起こったと彼らには見えると説明することだった。西中佐が指摘したのは、日本軍の小部隊が本部と離れて蕪湖から南京に進み、その間中、逃走する中国軍を探していた時に起こったことだ。この部隊は歩兵中隊で、ランチで川を下り、ジャンクに負傷者を乗せていた。そして蒸気船の一群を見つけ、兵士たちは中国軍だと思った。彼らは攻撃を恐れていたので、日本の飛行機が現れて喜んだ。後に蒸気船がアメリカ船だとわかったら、援助を申し出た。
「陸軍は責任を免れたと感じている」
陸軍のスピーカーは、一つの出来事が次の出来事を引き起こし、一連の事故によって惨事が起こったのであって、意図的な悪意で起こされたのではないと示して、詳細な絵を作り上げることによって、日本人兵士の責任が免除されたと感じた。海軍のスピーカーは単純に罪を認めた。海軍は三竝貞三少将の召喚が海軍の過ちを認めたことの十分な証だと信じているので、さらなる声明は発表しない。 西中佐はアメリカ大使館に行く前に外国人記者にほぼ同じ声明を発表した。[この後、西中佐が話したパナイ号事件の詳細が非常に長く伝えられています]
- 「英国は日本の事件に関して合衆国を待ち続ける—ワシントンが共に行動するのでなければ、今東京に挑戦するためには何もしない」:ロンドン発、12月23日(p.6)
- 「タイラーは強い軍隊を要望」:AP通信,ワシントン発、12月23日(p.6)
合衆国が戦争を「恐れていない」(原文強調)ことを外国に示すために、より強い海軍・陸軍への要求がコロラド州のエドワード・T.タイラー下院議員が今日発表した。彼は多くのアメリカ人、特に西部の人々はこの国が日本の「無礼な対応」(原文強調)に対し「無気力に」(原文強調)屈従すべきではないと信じている。タイラー氏は記者団に次のように述べた。
「世界中で8月以来状況が非常に変わったので、我が国が世界に対して、準備ができている、戦争を求めはしないが、恐れもしないと示しても正当化されると感じる」。
- 「[我が国の]旗に対する侮辱が報告された」:AP通信,上海発、12月24日(p.6)
上海で受け取った報告によると、南京から揚子江を60マイル上がった所の蕪湖でジェネラル・ホスピタルを運営しているアメリカのミッショナリーの船を日本兵が拿捕し、[アメリカ国]旗を引き摺り下ろして、川に投げ捨てたという。病院スタッフが旗を救い出し、蕪湖の日本司令官に知らせると、彼は遺憾の意を表明したと報告された。合衆国総領事クラレンス・E.ガウスは上海の日本当局に強く抗議した。
日本部隊が蕪湖市を占領した時に広範囲の無秩序が続いた(訳者強調)と報告されている。上海の日本当局は今日、蕪湖攻略のために実際に矢面に立って戦った部隊と交代する新たな陸軍部隊を蕪湖に送ったと言った。秩序は回復されたと自信を表明した。
- 「日本の後継者は4歳」:AP通信, 東京発、12月23日(p.6)
日本の皇位継承者、明仁皇太子は今日4回目の誕生日をパーティで姉たち、照宮成子内親王(Princess Shigeko Teru: 1925-1961)と孝宮和子内親王(Princess Takako Kazu: 1929-1989)と祝った。しかし、中国での戦争のため、通常の誕生晩餐会は省略された。
訳者注:英語名が”Takako Kazu”となっていますが、孝宮和子内親王だと推測しました。
- 「中国が被った損失$750,000,000—他の傷害以外の物理的資産の損害の推定—河北省がひどい打撃—河北の破壊は上海に匹敵—北平はほぼ無傷」:AP, 上海発、12月23日(p.6)
- 「ドイツは東洋で中立を保つ—日本の行動に対する責任を否認し、紛争の早期終結を望む—ドイツ自身の権益に損害—しかしドイツを中国から追い出した列強には同情なし」:ベルリン発、12月23日(p.6)
- 「日本の大佐は懲戒されず—パナイ号が沈没した時の揚子江地域司令官、橋本はまだ戦場に—杭州進撃—2都市の外国人は脱出するよう警告—南京の恐怖詳細」:ハレット・アベンド、上海発、12月24日(p.7)
「恐怖が南京を支配する」
南京占領後の日本兵の規律のほぼ完全な崩壊に関するさらなる確定的証言の詳細が今日上海に着いた手紙集で明らかにされた。中国の見捨てられた首都に残っているアメリカ人ミッショナリーからである。規律の崩壊がもたらしたのは、市民の大規模な虐殺、投降した中国兵の処刑、中国人女性への暴行と殺人、外国人のものを含めた財産の組織だった破壊と略奪などだ(訳者強調)。
手紙の何通かはアメリカ人の書き手が日本軍による傍受や報復を恐れているように、慎重に選んだ言葉や文章で南京を支配していた恐怖について用心深く書かれていた。その他の書き手は用心をかなぐり捨てて、「日本陸軍は南京の中国人と外国人の尊敬を勝ち取る絶好の機会を投げ捨てた」とはっきりと書いた。
ある著名なミッショナリーは次のように述べた。「この地域の中国当局の恥ずべき崩壊によって、膨大な数の人々は日本が自慢していた秩序と組織を受け入れる準備ができていた。この見通し全体が頻繁に行われる殺人、大量の略奪と個人の家を無制御に侵入すること、そして女性の安全に対するおぞましい犯罪などで台無しにされた」。
「市民が銃剣で突き殺された」
この書き手は付け加えて、多数の市民の死体は射撃され、銃剣で突き殺された犠牲者で、多くの場合、外国人と著名中国人が証人として見ていた(訳者強調)と言う。武器と制服を投降した中国の分隊は一緒に縛られて処刑されたと、1人が報告している。その手紙はこう書く。「今までのところ、明らかに処刑に向かう分隊の中国兵以外、日本軍には中国人捕虜の形跡はない」。
略奪のために日本軍に徴用された中国人は後に射殺された(訳者強調)という。アメリカ人ミッショナリーが続ける。(中略:略奪の内容と手法)
「国旗が引きちぎられた」
同じアメリカ人が書いている。南京中の外国人の自動車やその他の資産は国旗を引きちぎった後、強奪された。日本人将校と兵卒による少女と女性の拉致は至る所であった。この報告者は以下のコメントで締めくくっている。「このような状況の中で、恐怖は筆舌に尽くしがたい。物腰の柔らかい日本人将校たちが自分たちの『唯一の目的は中国人民のために抑圧的な中国政府と戦争をすることだ』と訓示を垂れるのは吐き気がする。責任ある日本の政治家、軍人、市民で、国家の権益のために、ここ数日で中国における日本の地位を傷つけたことをすぐに、そして適切に挽回する人が現れなければならない。日本の将校と兵士の中には、彼らの職業と日本帝国の名に恥じない紳士らしい振る舞いの人もいるが、全体は悲しむべき打撃だ」。
注
注1 | The New York Times, December 23, 1937. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1937/12/23/issue.html |
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注2 | The New York Times, December 24, 1937. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1937/12/24/issue.html |