戦争犯罪への対応の仕方がドイツと日本で大きく異なる例を見ます。
戦争犯罪への向かい方:ドイツと日本(1)ドイツ
5年半前の記事ですが、「歴史に関していえば、ドイツは日本とは違う。確かに日本の戦争犯罪はホロコーストとはまったく別物だが、だからといってその凄惨さが劣るわけではないし、薄らぐものでもない」と始まる記事が、日本とドイツの戦争犯罪への向かい方の違いを指摘しているので紹介します。「ドイツには、過ちを懺悔した指導者がいた—反省の心がドイツ人のアイデンティティに」(注1)と題する記事です。
2015年にこの記者リチャード・カッツがドイツ人から「戦後数十年間は、人々は思い出したくないと考えていた」が、態度の変化がブラント元首相(西独)によって強く推し進められたと聞いたという内容です。記事の一部を引用します。
ワルシャワのゲットーでナチに対し起きた蜂起の跡地を1970年にブラント氏(Willy Brandt: 1813-1992)が訪れ、ひざまずいて許しを請うたときだった。後に彼はこう書いている。「あの振る舞いはいったい何だったのかとよく聞かれる。最初からそうするつもりだったのか?いや、違う。ドイツが生み出した歴史的な地獄の縁に立ったとき、何百万人もの虐殺を犯した重責がのしかかってきたのだ。誰だって言葉を失った時にはそうする」。
ブラント氏はドイツ人に誇りをもたらした。彼の心からの振る舞いには、世界中のユダヤ民族、また伝えられるところでは当時まだ共産主義だったポーランドの知識層の一部すら心を打たれた。
それでも、直後の世論調査でこの行為を肯定したのは41%だけ、また、古い国境線を維持しなかったため、1972年に不信任決議にあい、「わずか2票の差で生き残った」そうですが、「1971年にノーベル平和賞を受賞、国内の社会福祉再建に」取り組み、「1972年末には、所属のドイツ社会民主党に地滑り的勝利をもたらした」とのことです。そして現在のメルケル首相(Angela Merkel: 1954-)も「過去の罪の否定は国に誇りをもたらしはしないと理解している」と述べて、次の文で締めくくられています。「仮にこのドイツ首相が岸信介氏のドイツ版ともいえるアルベルト・シュペーア氏の孫だったなら、こうした一連のことは想像もつかない」。
安倍晋三首相の祖父「岸信介氏のドイツ版」とされるアルベルト・シュペーア(Albert Speer: 1905-1981)について、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(注2)は以下のように解説しているので抄訳します。
シュペーアは1927年に建築士の資格を取得した。1930年末にベルリンでヒトラーの演説を聞いて、1931年1月に熱狂的にナチ党に入党し、ヒトラーは彼の才能に感銘を受けて、首相になると、シュペーアを自分の専属建築家にした。1942年にシュペーアは兵器と軍需生産の大臣に任命され、大きな権限を与えられて、徴兵制と強制収容所から奴隷労働を得る制度を拡大した。1945-46年のニュルンベルク裁判でシュペーアはナチの犯罪に対する反省を表明したが、ユダヤ人絶滅計画の直接情報を得ていたことは否定した。戦争犯罪と人道に対する罪で20年の刑に服した。彼は死ぬまで、ナチの「最終的解決策」[ユダヤ人抹殺]を知らなかったと公には主張し続けたが、1971年に書かれた手紙で、ハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler: 1900-1945)がユダヤ人全員が殺されると発表した1943年の会議に自分も出席していたと認めた。この手紙は2007年に公開された。
ナチス時代にはユダヤ人大量殺戮の前に20万人の障害者が精神科病院で殺されていたことが明らかになっています。精神科医による「安楽死」計画にヒトラーが賛同し、医師と看護師たちが20万人を殺害したという事実です(注3)。
これらを含めて、ドイツは現在に至るまで戦争犯罪者の裁判を続けています。当時17歳、現在93歳の強制収容所元看守に「5232件の収容者の殺害を幇助した」として執行猶予付きの禁錮2年が2020年に言い渡されました。被告は最終弁論で「裁判は過去に対処する機会を与えてくれた。証言や専門家の意見を聞いて初めて、残酷さと苦しみに気づけた」(注4)と述べたと報道されています。
メルケル首相が「過去の罪の否定は国に誇りをもたらしはしないと理解している」ように、ドイツ首脳たちが戦争の加害責任を認め、謝罪し続ける姿勢は変わりません。2020年1月にはドイツのシュタインマイヤー大統領(Frank-Walter Steinmeier: 1956-)がエルサレムのホロコースト記念館でスピーチをしました。その一部を引用します。
殺人をした人たち、殺人を計画したり、それに協力したりした人たち、そして黙って規則に従った多くの人たち。彼らはドイツ人でした。600万人のユダヤ人の産業的大量殺人、人類史上最悪の犯罪、それは私の同国人たちの手によって行われたのでした。5千万人をはるかに超える人々の命を奪った恐ろしい戦争は、私の国から生まれたのです。
アウシュビッツの解放から75年後、私はみなさんの前にドイツの大統領として立っています。私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っています。(中略)ホロコースト記念館の永遠の炎が消えることはありません。ドイツの責任が消滅することもありません。私たちは責任を果たしたいと思います。これにより、私たちを評価してください。(引用者強調)
私はあなたの前にたち、この和解の奇跡に感謝します。そして、私たちの記憶によって、私たちは悪から免れたと言えることを願っています。(中略)答えは一つだけです。二度と繰り返すな!(注5)
戦争犯罪への向かい方:ドイツと日本(2)日本
2020年終戦の日の安倍首相の式辞では、歴史の教訓にも加害責任にも触れず、逆に再び戦争のできる国にするという決意表明と受け取れる「積極的平和主義」という言葉で、新型コロナウィルス蔓延の中、自民党が着々と進めている「敵地攻撃能力」を示唆しています(注6)。
第一次安倍政権前から第二次安倍政権の現在まで、日本の政治家の歴史改竄主義的言動の気になった点をまとめます。日本の侵略戦争も南京事件や慰安婦問題などもなかったと主張する人々は「歴史修正主義者」という従来の語より、「歴史改竄主義者」という語で呼ぶ方がふさわしいようです。
- 1994(平成6)年5月:永野茂門法務大臣
「うっかりでは済まされない 失言で失脚した閣僚」という題名の写真集(2019/4/23, (注7))の筆頭にあがっている永野茂門氏(1922-2010)は羽田内閣(1994/4/28-1994/6/30)で法務大臣に就任した直後(1994年5月5日)のインタビューで次の発言をしています。「日本の軍隊があちらこちらでやった虐殺、放火、破壊をしたり、慰安婦問題とかは……。私は南京事件というのは、あれ、でっち上げだと思う。私は、あの直後に南京に行っている」。この「直後」というのが1938年とすれば、永野氏は16歳ですから、14歳から志願できるという志願兵として日中戦争で戦ったということでしょうか。
永野氏はこの他、慰安婦問題などについても問題発言をして、翌日には記者会見で発言撤回をし(注8)、その翌日に辞任と、10日間の法務大臣でした。戦争責任を全面否定するような歴史観の人が陸上幕僚長であり、法務大臣に任命されたことは、現在の自衛隊・防衛省のトップも同じ価値観の人々なのだろうかと不安にさせられます。
- 2001(平成13)年1月:安倍晋三衆院議員
NHKのETV2001「戦争をどう裁くか②問われる戦時性暴力」放送直前に安倍晋三議員が政治介入した結果、内容カットで「支離滅裂で異様な」番組を放送する結果になった(注9)。
- 2003-2007(平成15-19)年:稲田朋美弁護士
2005(平成17)年に自民党幹事長代理だった安倍晋三氏に口説かれて政界入りした稲田朋美氏(1959-)は、この頃、南京事件で「百人斬り」をしたとして処刑された旧日本軍少尉2人の遺族の弁護士として、百人斬りについて報道した朝日・毎日新聞、ジャーナリストの本多勝一氏を提訴しました。2006年に敗訴しましたが、「国の名誉を守りたい」と「百人斬り裁判」を2007年に本にしています(注10)。「過去の罪の否定は国に誇りをもたらしはしない」というドイツと真逆の発想です。稲田議員は第二次安倍内閣で安倍首相の「秘蔵っ子」と称され、安倍首相自身が「女性首相候補」と評価して防衛相に任命し、多くの問題を起こしています(注11)。
- 2006(平成18)年6月:河村たかし衆議院議員(当時)
質問主意書で「そもそも、南京大虐殺の源流となったのは、虚偽の新聞報道であ」ると述べました(注12)。そして、1999年5月14日の記者会見で外務報道官が「非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは否定できない事実」と述べた政府見解は「再考の余地が無いと考えるか否か」と小泉純一郎首相(当時)に質問しました。
小泉首相は「非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている」と回答しています(注13)。
- 2007(平成19)年3月:安倍晋三首相
辻元清美衆院議員の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問」(注14)に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見あたらなかった」(注15)と答弁しました。
辻元議員はさらに、中曽根元首相の回顧録『終わりなき海軍—若い世代へ伝えたい残したい』(1978)に「私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と書いてある事実を知っていたかと質問しました。それに対して安倍首相は「御指摘の回顧録の中に御指摘の記述があることは承知している」と答弁しました。
- 2012(平成24)年2月:河村たかし名古屋市長
名古屋市の姉妹都市・南京市から訪れた訪問団に対し「南京事件はなかった」「一般市民(へ)のいわゆる虐殺行為はなかった」と述べました(注16)。
- 2012年3月:長崎市議会
長崎原爆資料館の展示に「南京大虐殺」の記述があることを問題視した市議が訂正を求めたところ、「市側は『一定の市民の合意が得られている。今のままの展示でいこうと思う』と理解を求め、[長崎原爆資料館運営]審議会に持ち込むことは無かった」(注17)。
- 2012年3月:石原慎太郎・東京都知事
東京都知事の定例記者会見(2012年3月9日、(注18))で記者が「日中問題で、名古屋の河村市長の話が、民間外交にも水を差すようなところまで来ておりますが、今年は日中国交回復40周年ということで(中略)、知事は南京問題をどういうふうにとらえて・・・・・・」と尋ねました。石原知事は「全く事実無根だと思います」と答えます。
- 2012年9月:安倍晋三衆院議員
2012年9月に自民党総裁選への出馬表明で「新たな談話を出す必要がある。子や孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない」と明言した(注19)。
- 2013(平成25)年2月:大阪府(大阪維新の会)
「大阪国際平和センター」の展示内容から南京大虐殺など旧日本軍の加害行為に関する展示を撤去し、大阪空襲に特化することを明らかにした。3月には全職員を交代させた(注20)。
- 2013年3月12日:安倍首相
衆議院予算委員会で「先の大戦においての総括というのは、日本自身の手によることではなくて、東京裁判という、言わば連合国側が勝者の判断によって、その断罪がなされたということなんだろうと思う」と発言(注21)。
- 2013年4月23日:安倍首相
参議院予算委員会で安倍首相は「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言しました。
1974年12月の「国連総会で『侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、または国連連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使』であると定義した」「1975年版外交青書によれば、(中略)『妥当な定義が作成されたと考え、国連総会においては、その採択を支持した』とある」「国際刑事裁判所ローマ規程検討会議において、(中略)2010年6月に侵略犯罪の定義を含む、侵略犯罪に関する国際刑事裁判所のローマ規程への改正決議が採択された」「外務省は(中略)『画期的な合意内容と言える』と極めて肯定的な評価をしている」(注21)。
- 2013年5月24日:安倍首相
辻元清美議員に対する答弁:国際法上の侵略の定義については様々な議論が行われており、お尋ねについては確立された定義を含めお答えすることは困難である(注22)。
- 2013年7月:麻生太郎副総理
「シンポジウムで『ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口に学んだらどう』などと発言」(注23)。「ナチスの手口に学べ」発言は世界を駆け巡り、ドイツはもちろん、フランス・アメリカ・中国・韓国などの抗議報道が「『地獄と恐怖を忘れたのか』 海外の批判」(注24)という見出しで紹介されています。
- 2014(平成26)年3月:『ニューヨーク・タイムズ』社説「安倍氏の危険な歴史修正主義」は「安倍晋三首相のナショナリズムのブランドは日米関係にとって深刻な脅威となっている」(注25)と始まっています。
- 2014年10月3日:安倍首相
衆議院予算委員会で自民党の稲田朋美政調会長に対する答弁の中で「日本が国ぐるみで『性奴隷』にしたと、いわれなき中傷が今世界で行われている」と発言(注26)。
- 2014年10月15日:歴史学研究会委員会声明
「政府首脳と一部マスメディアによる日本軍『慰安婦』問題についての不当な見解を批判する」(注27)。
- 2015年4月:松井大阪府知事
「ピースおおさか」の展示から「展示室B・15年戦争」が全面撤去され、「アジアの被害はもとより沖縄・広島・長崎など日本の被害の実態すら出されていない」展示に変わった。「慰安婦」も削除され、松井知事は「アジア侵略展示の縮小について記者から質問」され、「感情を煽るのが目的ではな」いと、「日本の過去の侵略と植民地支配の歴史は、そして南京大虐殺、日本軍『慰安婦』の史実は、彼にとって『感情を煽るもの』」だと理解されます(注20)。
- 2015(平成27)年5月:アメリカ・アジア学会声明
「日本の歴史家を支持する声明」:日本メディアは日本の歴史学会の声明をほぼ無視し、アメリカの著名な歴史家が署名した上記声明は大きく報道したため、日本の歴史家は反応しないという誤った批判があった。アメリカの歴史家の声明を報道する際に、日本のメディアは評価する論者と、否定的なコメントをする論者を並べて「両論併記による中立性保持」を装うが、それは偏向報道に陥りかねないので、メディアも見識を持つべき(注28)。
- 2015年8月:安倍首相
戦後70年「内閣総理大臣談話」(注29)で「日露戦争は植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と欧米の植民地支配から日本がアジアを救ったかのような主旨で、日本が朝鮮・台湾を植民地化し、中国で侵略戦争をしたとは明言しませんでした。「中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」という表現では、日本以外の国がしたこととさえ読め、その上で以下の文言で、日本には責任はない、今後も謝罪しない、再び「戦争のできる国」にすると表明しているようです。「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。(中略)『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」。
- 2017(平成29)年3月31日:安倍首相
3月21日に初鹿明博議員の「教育勅語の根本理念に関する質問主意書」で、1948(昭和23)年6月に衆参両院で「教育勅語等排除に関する決議」「教育勅語等の失効確認に関する決議」が決議され、国会で教育勅語の指導原理が否定されたのに、松野博一文部科学大臣が記者会見で、憲法や教育基本法に反しないように配慮して授業に活用することは認められると発言したこと、稲田朋美防衛大臣は「教育勅語に流れているところの核の部分、そこは取り戻すべきだ」と答弁していると指摘。議員の考えは、教育勅語本文を学校教育で使用することは主権在民と基本的人権を謳う憲法上認められないから、学校での使用を禁止すべきと述べた上で、政府の見解を求めました(注30)。
安倍首相の答弁:「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切であると考えているが、憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではないと考えている」(注31)。
- 2017年4月28日:安倍首相
宮崎岳志衆議院議員の「アドルフ・ヒトラーの著作『我が闘争』の一部を、学校教育における教材として用いることが否定されるかどうかに関する質問主意書」(4月6日提出)では、教育勅語を学校教材として利用することは否定されないと答弁したことを踏まえ、ヒトラーの『我が闘争』の一部を抜粋して道徳や国語の教材として用いることは否定されないかと質問(注32)。
安倍首相の答弁:学校教育法の趣旨に従っていること等の留意事項を踏まえた有益適切なものである限り(中略)使用できるものである」「その上で、(中略)「我が闘争」については、同書の一部を引用した教材を使用して同書が執筆された当時の歴史的な背景について考察させるという授業が行われている例があると承知している。他方、仮に人種に基づく差別を助長させるといった形で同書を使用するのであれば、(中略)不適切であることは明らかであり、万一このような指導がされた場合には、所轄庁や設置者において厳正に対処すべきものである」(注33)。
- 2017年4月:「ヒトラーの『我が闘争』が日本の学校で『教材』として戻ってくる」(注34)という見出しのニュースが即日世界を駆け巡りました。安倍首相の答弁では、「民族主義」を勧めるための教材としては不適切だが、「国家主義」や「反民主主義」は否定しないと言っていると理解されます(注35)。
- 2017年8月29日:麻生太郎副総理・財務相が自民党麻生派の講演で「(政治は)結果が大事だ。何百万人殺しちゃったヒトラーは、やっぱりいくら動機が正しくてもだめなんだ」と述べ、ユダヤ人虐殺の動機は正しかったと受け取られる(注36)。
このニュースも即座に海外で大きく取り上げられ、イギリスの『ガーディアン』は「日本の閣僚、麻生太郎がヒトラーをほめて、彼の『動機は正しかった』と発言」(注37)と報道されました。この記事では2013年の発言についても憲法改正を進めるためには「ナチ党がドイツの憲法を隠密裏に改定した手口に学ぶことができると述べた」と分析されています。
「テレビ界の名士」高須クリニックの高須克弥氏が「科学と医学に対するナチスの貢献を強調し、ホロコーストを否定している」として、非政府組織サイモン・ウィーゼンタール・センターは「アメリカ形成外科医学会に高須の除名を依頼し」「同学会は、高須に対する申し立てを深刻に受け止めており、高須の発言を調査していると述べた」とのことです。この記事では、欅坂48など日本のポップ・ミュージック・グループがナチ親衛隊の制服をコスチュームにして海外から批判を浴びているとも報道していますから、安倍政権だけでなく、日本社会にナチ礼賛者が増えているような印象を与えます。
- 2019(令和1)年9月:長崎市議会・自民「明政クラブ」浅田五郎市議
長崎原爆資料館では1996年の開館以来、原爆投下前後の世界情勢を示す展示の中に年表で「南京大虐殺」と記載されており、それを「南京戦」と訂正すべきという指摘が2019年9月の長崎市議会定例会でされました。浅田五郎市議(82)は「南京戦はあったとしても虐殺はなかった」「祖先をおとしめ、訪れた人に余計な反省を促すような展示は変えていかなければならない」と述べました。2012年の場合と違って、市側は長崎原爆資料館運営審議会で検討することにしました。この態度の変化の背景には、「文部科学省の検定教科書の表記変更がある。原爆資料館の展示内容は検定教科書に準拠しており、96年4月の開館当時に使用されていた中学社会科の教科書(92年検定)では8社中、少なくとも6社が『南京大虐殺』『ナンキン大虐殺』などと表記。一方、現行の教科書(15年検定)で同様の表記は2社にとどまり、『南京事件』や『南京攻略』などとする出版社が増えた」「『岡まさはる記念 長崎平和資料館』(長崎市)の崎山昇事務局長は(中略)『日本人として過去の行為と真摯に向き合わなければ、被爆地から核兵器廃絶を叫んでも相手にされない』と訴えた」(注17)。
- 2020(令和2)年3月:長崎原爆資料館運営審議会
長崎市議会での議論を受けて、2020年3月の長崎原爆資料館運営審議会で資料館の展示に「南京大虐殺」の表記を残すか審議しました(注38)。委員の一人は「実際に南京虐殺はあっている」「日本が中国に侵略戦争をしていた、そしてああいう民間人がたくさん殺されたということは事実であるわけですから、それはやっぱり加害のこともはっきり示す必要がある」と意見表明しました。
別の委員が、当時の東京日日新聞のカメラマン、サトウシンジさんに長崎に来てもらい討論会をした。この人物は1937年12月13日に南京に入り、「非常に静かで平和な状況」だったと語ったので、戦後に言われているのと当時の実態はかけ離れていると感じたので、歴史教科書が絡んでいるし、文科省の考え方もあるので、改めて公開の場で議論すべきと意見表明。審議会会長は「今日出た意見を参考に(中略)今後長崎の方でどういうふうにされるかご検討いただければと思います」と締めくくりました。
- 長崎原爆資料館運営審議会の委員は南京事件/虐殺の時期に南京にいたというカメラマンの証言を紹介して、南京虐殺はなかったと判断したようですが、当時の新聞に報道規制があるといっても、多少の記述はありました。朝日新聞「新聞と戦争」取材班著『新聞と戦争 下』(2011,(注39))によると、1937年12月16日付朝日新聞「江岸で一万五千捕虜」「なほ潜伏二万五千 敗残兵狩り続く」、19日付東京朝日新聞夕刊に「南京攻略にあたり敵の遺棄せる死体は八、九万を下らず捕虜数千を算す」(p.129)と報道されました。当時これを読んだ歴史学者の洞富雄(1906-2000)は「なぜ捕虜が『数千』なのか。洞は大規模な捕虜殺害を紙面から『直覚』した」そうです。事実は書けないとしても仄めかしは見られたと、以下の例が挙げられています。
- *1938年1月13日付朝日尾張版:「敵屍をご馳走に 南京のお正月」「南京城内外や揚子江付近は敵屍数万、一日で約五、六百の屍体の山が何ヶ所かある」。
- *1938年1月20日付朝日千葉版:「南京城の北方で……(揚子江を)渡河中の敵を射撃し敵二百名以上を殺し、隊長から“お前は殊勲甲である”と賞められて面目をほどこした」。
- *市民の間に噂として「ひそかに語り伝えられ」、「揚子江岸にて捕虜一万二千名に対し食糧を供給すること能はずして鏖殺(おうさつ)したる由」などを話したとして2人の民間人が陸軍刑法に違反したという理由で有罪になったとのことです(p.130)。
- *1937年7月から2年間に軍人・軍属6452人の通信・言動・手記を憲兵がチェックしたデータによると、「皇軍将兵の略奪強姦良民虐殺」関係が418件、「死体散乱し惨状目を覆う」という内容が288件あったとのことです(pp.130-131)。
- 2020年8月15日:BBCが「日本で75年目の『終戦の日』靖国神社に閣僚が4年ぶり参拝」(注40)という見出しで、小泉進次郎環境相を含め、閣僚4人の靖国参拝と安倍首相の玉串奉納を伝えています。「日本との戦闘では、イギリスおよびイギリス連邦の7万1000人が犠牲となったと推定されている」「日本占領下の中国と韓国では、何百万人も死んだとされる」と記した上で、以下のように報道しています。
靖国神社には、連合国からA級戦犯として有罪判決を受けた、戦時の指導者14人もまつられている。日本の閣僚級の政治家がこの神社を訪れることに、中国と韓国は強く反発している。そのため、天皇は一度も靖国神社を参拝したことがない。終戦日の公式な行事は別の場所で開かれている。
しかし今朝、安倍内閣の4閣僚が靖国神社を参拝した。安倍氏も玉串料を奉納した。このことは、終戦から75年がたっても、日本を支配するエリートが戦時の侵略に対して心から悔いているわけではないとする中国と韓国の見方を強めるものとなるだろう。
この記事では広島長崎への原爆投下が戦争を終わらせるために正当だったと示唆する文章があるのが気になります。「日本では、アメリカが原子爆弾を広島(8月6日)と長崎(同9日)に投下してからほどなく、終戦となった」。1995年に日本への原爆投下は軍事的に必要なかったと指摘したアメリカの歴史学者ガー・アルペロビッツ(Gar Alperovitz: 1936-)は「激しい非難を浴び」たそうですが、最近は投下を正当化できないと考える若い世代が増えているそうです(注41)。
- 2020年8月25日:河村名古屋市長・高須クリニック院長
2019年に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」企画展の芸術祭実行委員会会長・大村秀章愛知県知事のリコールを目指す「愛知100万人リコールの会」の署名活動が始まり、会長の高須克弥氏と河村たかし名古屋市長が県庁前で街頭活動を行いました(注42)。この二人を代表とする旧日本軍の行動はなかったと主張する人々が、企画展「表現の不自由展・その後」で展示された従軍慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」や映画監督・大浦信行氏の映像作品を「反日的」だとして攻撃し、この展示を中止に追い込んだ上、「あいちトリエンナーレ」に補助金の支出を決めた大村知事が許せないとして、リコールという政治運動を始めたという経緯です(注43)。愛知県民と名古屋市民が歴史改竄主義に賛同するのか海外が成り行きを注目するでしょう。
注
注1 | リチャード・カッツ「ドイツには、過ちを懺悔した指導者がいた—反省の心がドイツ人のアイデンティティに」『東洋経済ONLINE』2015/01/11 https://toyokeizai.net/articles/-/57305 |
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注2 | ”Albert Speer”, Britannica Online Encyclopedia, https://www.britannica.com/biography/Albert-Speer |
注3 | 「ドイツの精神科医と安楽死計画 第1回精神科医が関与した歴史的犯罪」ハートネット、NHK, 2018年02月05日 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/289748.html *「ドイツの精神科医と安楽死計画 第2回ナチズムがめざした人種改良」ハートネット、NHK, 2018年02月07日 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/289879.html *「ドイツの精神科医と安楽死計画 第3回歴史を直視し、個々の患者に向き合う」ハートネット、NHK, 2018年02月15日 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/290495.html *「ドイツの精神科医と安楽死計画 第4回日本で開催された移動展覧会」ハートネット、NHK, 2018年02月23日 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/290894.html *「ドイツの精神科医と安楽死計画 第5回岩井一正さんのインタビュー」ハートネット、NHK, 2018年02月27日 https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/291052.html *「障害者虐殺 ナチスによる『T4作戦』 現地取材の本が公表」『毎日新聞』2019年5月6日 https://mainichi.jp/articles/20190506/ddm/013/040/043000c |
注4 | 野島淳「当時17歳の元ナチスに有罪 組織の歯車、追う意味とは」『朝日新聞DIGITAL』2020年7月27日 https://digital.asahi.com/articles/ASN7W6FV1N7QUHBI02D.html |
注5 | 「『歴史的な罪の重荷を背負っている』独大統領の演説全文」『朝日DIGITAL』2020年1月25日 https://digital.asahi.com/articles/ASN1S7TC2N1SUHBI02P.html |
注6 | 菅原晋「首相式辞から『歴史』消える 今年も加害責任は言及せず」『朝日新聞DIGITAL』2020年8月15日 https://digital.asahi.com/articles/ASN8H6D7PN8HULFA00B.html |
注7 | 「うっかりでは済まされない 失言で失脚した閣僚」『毎日新聞』2019年4月23日 https://mainichi.jp/graphs/20190423/hpj/00m/010/002000g/1 |
注8 | 「南京大虐殺発言 法相、撤回し陳謝 更迭必至の情勢 与党にも責任問う声」(1面)「永野法相の発言要旨」(2面)『朝日新聞』、1994(平成6)年5月7日 |
注9 | 池田恵理子「安倍首相らによるメディアと教育への政治介入」『週刊金曜日』1291号、2020/8/7, p.43. |
注10 | 「国の名誉守りたい 稲田衆院議員『百人斬り裁判を本に』」『福井新聞』2007年05月17日(アーカイブ) http://archive.is/TuJCP |
注11 | 泉宏「安倍首相は秘蔵っ子の稲田防衛相を斬れるか」『東洋経済ONLINE』2017/07/21 https://toyokeizai.net/articles/-/181510 |
注12 | 河村たかし「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」衆議院、平成十八年六月十三日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm |
注13 | 内閣総理大臣 小泉純一郎「衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する」衆議院、平成十八年六月二十二日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164335.htm |
注14 | 辻元清美「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」衆議院、平成十九年三月八日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a166110.htm |
注15 | 内閣総理大臣 安倍晋三「衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する」衆議院、平成十九年三月十六日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm |
注16 | 「『南京事件も虐殺もなかった』河村名古屋市長『現地で討論会』に意欲」JCASTニュース、2012年02月21日 https://www.j-cast.com/2012/02/21122931.html |
注17 | 石川陽一「『南京大虐殺』は不適切? 展示表記巡り 長崎原爆資料館で論争 見直しの可能性も」、共同通信、2020/3/19 https://news.yahoo.co.jp/articles/60644473771b64192b4badee9d201ca4cebba4b5 |
注18 | 「石原知事定例記者会見 平成24(2012)年3月9日(金曜)」東京都 https://www.metro.tokyo.lg.jp/GOVERNOR/ARC/20121031/KAIKEN/TEXT/2012/120309.htm |
注19 | 仙石恭「慰安婦問題 安倍首相『狭義の強制性』否定 2次政権では一転、慎重姿勢」『毎日新聞』2015年12月28日 https://mainichi.jp/articles/20151228/ddm/007/010/067000c |
注20 | 森一女「『侵略の歴史と加害の展示撤去』の『ピースおおさか』のリニューアルオープンに抗議する!」アジア女性資料センター、2015-06-23 http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=932 |
注21 | 辻元清美衆議院議員の以下の質問主意書の中での指摘。「『侵略の定義』など安倍首相の歴史認識に関する質問主意書」衆議院、平成二十五[2013]年五月十六日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a183076.htm |
注22 | :内閣総理大臣 安倍晋三「衆議院議員辻元清美君提出「『侵略の定義』など安倍首相の歴史認識に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する」衆議院、平成二十五年五月二十四日受領 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b183076.htm |
注23 | 三島憲一「麻生太郎氏が研究したい『手口』の中身」『論座』2013年08月10日 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2013080900006.html) |
注24 | 「『地獄と恐怖を忘れたのか』海外の批判 麻生副総理“ナチスの手口に学べ”発言」『しんぶん赤旗』2013年8月2日 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080203_01_1.html |
注25 | Editorial Board “Mr. Abe’s Dangerous Revisionism”, The New York Times, March 2, 2014. https://www.nytimes.com/2014/03/03/opinion/mr-abes-dangerous-revisionism.html |
注26 | 「首相『性奴隷は中傷』 日本軍『慰安婦』問題で重大発言」『しんぶん赤旗』2014年10月4日 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-04/2014100401_02_1.html |
注27 | 「声明 政府首脳と一部マスメディアによる日本軍『慰安婦』問題についての不当な見解を批判する」歴史学研究会委員会、2014年10月15日 http://rekiken.jp/appeals/appeal20141015.html |
注28 | 小山エミ「世界の日本研究者ら187名による『日本の歴史家を支持する声明』の背景と狙い」SYNODOS, 2015.05.09 http://synodos.jp/international/13990 |
注29 | 「内閣総理大臣談話」首相官邸、平成27年8月14日 https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html |
注30 | 初鹿明博「教育勅語の根本理念に関する質問主意書」衆議院、平成二十九[2017]年三月二十一日提出 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193144.htm |
注31 | 内閣総理大臣 安倍晋三「衆議院議員初鹿明博君提出教育勅語の根本理念に関する質問に対する答弁書」衆議院、平成二十九年三月三十一日受領 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193144.htm |
注32 | 宮崎岳志「アドルフ・ヒトラーの著作『我が闘争』の一部を、学校教育における教材として用いることが否定されるかどうかに関する質問主意書」、衆議院、平成二十九年四月六日提出 http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193207.htm |
注33 | 内閣総理大臣 安倍晋三「衆議院議員宮崎岳志君(民進)提出アドルフ・ヒトラーの著作『我が闘争』の一部を、学校教育における教材として用いることが否定されるかどうかに関する質問に対し、別紙答弁書を送付する」、衆議院、平成二十九年四月十四日受領 http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193207.htm |
注34 | “Hitler’s Mein Kampf returns to Japanese schools as ‘teaching material’”, RT, 15, Apr. 2017 https://www.rt.com/news/384877-hitlers-mein-kampf-returns-to-japan-school/ |
注35 | 小林正弥「『わが闘争』の教材使用を政府が容認した底意—『民族主義』『不適切』でも、『国家主義』や『反民主主義』は否定せず」『論座』2017年05月17日 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2017051600003.html |
注36 | 「麻生氏、ヒトラーによる虐殺『動機正しくてもだめ』」『日本経済新聞』2017/8/30 https://www.nikkei.com/article/DGXLZO20532030Z20C17A8PP8000/ |
注37 | 「日本の閣僚、麻生太郎がヒトラーをほめて、彼の『動機は正しかった』と発言」(ガーディアン紙の記事の日本語訳)、「原子力発電、原爆の子」2017年8月30日 https://besobernow-yuima.blogspot.com/2017/08/blog-post_20.html |
注38 | 「令和元年度第1回 長崎原爆資料館運営審議会」長崎市、2020/3/17 https://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/760000/763000/p034329.html |
注39 | 朝日新聞「新聞と戦争」取材班『新聞と戦争』下、朝日新聞出版、2011. |
注40 | 「日本で75年目の『終戦の日』靖国神社に閣僚が4年ぶり参拝」BBC, 2020年8月15日 https://www.bbc.com/japanese/53788585 |
注41 | :渡辺丘「原爆投下の正当性、若い世代は 米学者が語る変化の兆し」『朝日新聞DIGITAL』2020年8月8日 https://digital.asahi.com/articles/ASN880QHGN85UHBI00H.html |
注42 | 野村阿悠子、岡正勝「愛知の大村知事リコール、署名集め開始 高須院長や河村市長が参加」『毎日新聞』2020年8月25日 https://mainichi.jp/articles/20200825/k00/00m/040/161000c |
注43 | 吉井理記「愛知知事リコールは『愛国』か 民族派からも疑問の声 トリエンナーレ補助金」『毎日新聞』2020年8月23日 https://mainichi.jp/articles/20200822/k00/00m/040/209000c |