ラングの「未開人」論には、彼と同時代のヨーロッパ「文明人」の迷信と並列したり、ギリシャ神話と同等に高く評価したりして、「未開人は文明人同様、様々な文化程度を持ち、様々な芸術的能力を持っている」と注意喚起しています。また、旧石器時代の人々が「現在フランスとイギリスとして知られる国に住んでいた」と、土壌を通して未開と文明がつながっていることを再確認するよう促しています。
The Magazine of Art (1882)掲載のラングの「未開人の芸術」の第二部「II—描写」(The Art of Savages.—II. Representation.(注1))の続きです。
南アフリカの洞窟の壁画を『ケープ月間雑誌』(Cape Monthly Magazine)からコピーしたが、これは多分、魔法の儀式を描いたものだろう。ブッシュマンたちが雨を降らせるために、大きな淡水動物—サイかその種の動物—をおびき出して、陸地を走らせるように仕向けている。この考え方の関係は文明人にはほとんど見えないが、フランスの一般的な迷信である、絞首刑に使われたロープを持っているとカードゲームに運をもたらすという関係の不明瞭さも同じようなものだ(注2)。
ブッシュマンの洞窟絵はオーストラリアの洞窟絵のように、黒、赤、白で描かれている。未開人はアッシリア人や古代ギリシャ人のように、そして、子どもたちのように、人間を描くより動物を描く方がずっとうまい。[この記事の]頭文字に使ったブッシュマンの犬はケンタウロスのケイロン[centaur Chiron: 半獣神ケンタウロスの1人]に従っている犬と同じくらい生命感に満ちあふれている。大英博物館の壺に描かれているのは、アキレスを育てるケンタウロスの姿である。(中略)
未開人の芸術の歴史において、私たちに気付かせてくれる1つの事実は、未開人は文明人同様、様々な文化程度を持ち、様々な芸術的能力を持っていることだ。ヨーロッパの最も古い居住者は彼らの生活の痕跡や手工品を多く残しているが、彼らも未開人だったはずだ。彼らの道具や武器は研磨石器で造られたものではなく、荒削りのフリント石だった。この種の道具を使った人びとは機械設備などなく、洞窟生活でも、洞窟熊を追い払わなければならなかったし、雪の中でトナカイやマンモスに忍び寄っていくような生活は本当に大変だったにちがいない。これらヨーロッパの最初期の人びとは古代の研磨されていない石の武器を使ったことから、「旧石器時代人」と呼ばれている。彼らは大氷河期前に、現在フランスとイギリスとして知られている国に住んでいた。これは彼らの時代を計り知れない古い時代にしてしまって、「暗い過去の時の淵」(”dark backward and abysm of time”(注3))によって、私たちと彼を離れさせてしまっている。(中略)しかし、彼のスキルは他のどの人種よりも、私たちの現代アートの精神に近いものがあると認めなければならない。
旧石器時代人は他の未開人のように自分の武器を装飾したが、彼は未開人によく見られるように、装飾紋様で装飾したのではない。(中略)彼の時代の大きな頭の馬の図案を描いた。以下のページに印刷したものである。(中略)
ブッシュマンの壁画(Bushman Wall-Painting)
旧石器時代の芸術(Palaeolithic Art)
ギリシャの芸術が、荒っぽい子どもっぽい作品からエーゲ海大理石の優美なものに、2,3世紀の間にどうやって一足飛びに変貌したのか、そして、そこからフィディアス[Phidias:紀元前490〜430年頃のギリシャの彫刻家]の作品に見られるような完全な自由と、完璧で近づきがたい美へと変貌したのかを発見することは、芸術史の最も特異な課題である。アッシリアとエジプトの僧侶たちがユーフラテス川とナイル川の谷で精巧に作った芸術を、ギリシャの初期の人々が何か学んで、洞察を得たことは疑いない。これが、未開芸術からフォーマル芸術や神官芸術(formal and hieratic art)に急速に発展した理由を説明しているかもしれない。しかし、ギリシャ人をこんなにも速く、完全に自由で自然で神のような芸術に導いたインスピレーションはどこから飛んできたのだろう?これは人種のミステリーであり、神々しい才能のミステリーでもある。「天なる神々が人間に与えたのだ」(”The heavenly gods have given it to mortals.”)。
大分はしょりましたが、上記の段落で「未開人の芸術II—描写」を締めくくっています。最後の引用文がどこからの引用かわかりません。彼が共訳した『ホメロスのオデッセイ』(1879)や『ホメロスのイリアス』(1883)などからかもしれませんが、全く同じ文言ではみつかっていません。いずれにしろ、ホメロスに関するラングの見解はラングの全体像を理解する上でも重要なので、後に紹介します。
この節で抄訳したラングの「未開人」論には、彼と同時代のヨーロッパ「文明人」の迷信と並列したり、ギリシャ神話と同等に高く評価したりして、「未開人は文明人同様、様々な文化程度を持ち、様々な芸術的能力を持っている」と注意喚起しています。また、旧石器時代の人々が「現在フランスとイギリスとして知られる国に住んでいた」と、土壌を通して未開と文明がつながっていることを再確認するよう促しています。後者は日本でも縄文人とのつながりなどで私たちにも通じる視点です。しかし、ラングが意図していたのは、彼の時代のイギリス植民地に住む同時代人の「未開人」に目を向けさせることだったように思えます。ラングの時代にこのような視点を訴えたことは貴重だと思います。
注
注1 | The Magazine of Art, vol.5, 1882, pp.303—307. https://archive.org/details/magazineofart05londuoft |
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注2 | 『イギリスとアイルランドの迷信』によると、絞首刑執行人のロープを持つと幸運をもたらし、特にカードゲームをする人には運をもたらすお守りとされたそうです。 Steve Roud, The Penguin Guide to the Superstitions of Britain and Ireland, 2003 |
注3 | この文言はシェークスピアの『テンペスト』(Tempest: 1611)の第一幕第二場でプロスペロが娘のミランダに過去のことを語る時の台詞。 |