芸術
ラングの「未開人」論(5)
ラングの「未開人」論には、彼と同時代のヨーロッパ「文明人」の迷信と並列したり、ギリシャ神話と同等に高く評価したりして、「未開人は文明人同様、様々な文化程度を持ち、様々な芸術的能力を持っている」と注意喚起しています。また、旧石器時代の人々が「現在フランスとイギリスとして知られる国に住んでいた」と、土壌を通して未開と文明がつながっていることを再確認するよう促しています。 523 続きを読む
ラングの「未開人」論(4)
当時のイギリスと未開人の芸術の表現方法の類似点を強調している個所に注目したいと思います。人骨の調査をする形質人類学の専門家がヨーロッパと未開人の違いを強調することによって、ヨーロッパ人の優位性を浮かび上がらせることを目的としていたのに対し、ラングは類似性に着目することによって、アーリア人優位の時代に異を唱えたと読めるからです。 517 続きを読む
マオリの文様
ラングの「未開人」論(3)
The Magazine of Art (1882)掲載の「未開人の芸術I—装飾美術」の続き。マオリの文様と他地域との比較、「スワスティカ」(かぎ十字、ドイツ語ではハーケンクロイツ)についての考察などから、ラングの白人優位主義への批判が読み取れます。アイヌの人骨(遺骨)についての記述は、北大人骨事件として日本人にも身近な問題です。 496 続きを読む
未開人の装飾(SAVAGE ORNAMENTATION)
オーストラリアの楯(AN AUSTRALIAN SHIELD)
ダヤク族の手と足
ADYAK’S HAND, (From Bock’s “Head Hunters of Borneo”)ダヤク族の手(ボックの「ボルネオの首狩族」より)A DYAK’S FOOT, (From Bock’s “Head Hunters of Borneo”)ダヤク族の足(ボックの「ボルネオの首狩族」より)該当記事へ 続きを読む
ラングの「未開人」論(2)
植民地・帝国主義時代のイギリス。美術に関心のある中流階級の読者に向かって、ラングが「未開人の芸術I—装飾芸術」(1882)の中で議論を展開します。「最下等の人種」と当時みなされていたオーストラリアのアボリジニの芸術を、これほど丁寧に詳細に観察し、材料のせいで直線形の模様が多いのだと、自分の子ども時代や彼の故郷のスコットランドと比較しながら分析するラングの眼差しに心を打たれます。 485 続きを読む
ラングの「未開人」論(1)
彼の一貫性の表れだという視点から、ラングの未開人論を辿ってみたいと思います。「未開人」と訳した語は”savage“で、「野蛮人」という意味もあります。日本語の「未開人」は今では差別用語とされていますが、19世紀の植民地時代には植民地の先住民族をこの語で呼んでいました。 481 続きを読む
ラングとThe Magazine of Art
The Magazine of Artという雑誌は1878年創刊で1904年まで続きましたが、1881〜1886年に詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley: 1849〜1903)が編集長として担当した時期に変貌を遂げ、中産階級の美的センスに多大な影響を与えたと評されています。それは美術分野だけでなく、詩、散文、批評、考古学、民俗学なども含め、定期的な執筆者にはヘンリーの友人であったロバート・ルイス・スティーブンソンもいます。ラングも頻繁に寄稿しています。 426 続きを読む